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中東の大国イランに関する大きな誤解

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イランでコロナ感染続く

昨日のBBCは先進国でコロナ感染のスピードは鈍りつつある一方で、途上国における感染が急速に拡がりつつある事を伝えています。

イランは感染が最初に広がった国の一つですが、今も感染拡大が止まらず、苦労している様です。

政府のコロナに対する対策も後手にまわっている様で、国民の不満も高まっている様です。

皆さんイランという国をご存知でしょうか。トルコの東に位置するこの国は、人口も8千万を超え、トルコと並ぶ地域大国として存在します。

この国かなり誤解されている面があるので、私の経験談も交え、ご紹介したいと思います。

ペルシャの偉大な歴史

歴史的に見るとイランの前身であるペルシャ帝国は世界的な大帝国を築いてきました。

有名なのがアテネを代表とするギリシャの市民国家との戦いですが、世界史の教科書にはギリシャ側の大勝利に終わったと書かれています。

しかし、これは欧米の史家によって歪められた見方だと思います。

ギリシャとの戦いなど当時のペルシャ、アケメネス朝にしてみれば、局地戦中の一つであり、アメリカがキューバにちょっかいを出して途中で諦めた程度のインパクトしかありません。

それほど当時のペルシャは巨大な帝国でした。

最盛期のアケメネス朝ペルシャは東は現在のパキスタンから西はバルカン半島、北は中央アジアから南はエジプトまでを覆い尽くす巨大な帝国だったわけです。

丁度オスマントルコの最盛期と版図が重なりますね。

長い歴史を持ち、歴史上ほとんど征服されたことがない国ですので、国民の自国の歴史文化に対する誇りは相当なものがあります。

中東のアラブ人と比較されたりしようものなら一緒にされては困ると激しく反発するのも彼らの歴史を考えれば無理もないと思います。

最初の海外出張

私の最初の海外出張の目的地、実はイランだったのです。

当時イランイラク戦争のさなかでしたので、テヘラン赴任から帰任した直後の先輩に現地の状況をお聞きした処、「今はやめといたほうがいいじゃない」とのアドバイスを頂きました。

しかし若気の至りというか海外出張に行きたい気持ちが強く、結局出張させてもらう事になりました。

当時の飛行ルートよく覚えていませんが、イラン航空の北京経由便だったと思います。

イランは既に米国と断交していましたが、飛行機はボーイングの747を使用していた事を記憶しています。

日本人の機内乗務員も搭乗しており、ベールを被って勤務していたことが印象的でした。

テヘランに着いて驚いたのは毎晩の様に空襲警報が鳴り、イラクから発射されるミサイルがテヘラン市内に着弾する事でした。

このミサイルは精度が極端に悪いので、市民の住居地域に落ちることもあり、毎夜聞こえるミサイルの着弾音に肝を冷やしていました。

人生最悪の出張だったが発見も

仕事の目的はアフワズというイラクとの国境に近い街に行き、そこの製鉄所と打ち合わせる事でした。

イラクとの国境近くの街ですからテヘランからの直行便は運航中止となっており、仕方なくペルセポリス神殿に近いシラーズに飛行機で飛び、そこから車でアフワズに向かうという旅程を立てました。

シラーズに着いてホテルで夕食を取ったのですが、客はまばらで、ウエイターにメニューに記載されている料理を頼んでも、どれも出来ないというのです。

ここで役に立ったのが、日本から持ってきたタバコでした。

駐在員から必ずマルボロケントを買ってこいとアドバイスを受けていたのですが、マルボロを一箱テーブルの上に置いた瞬間、ウエイターの態度が豹変しました。

タバコ一本頂けないかと聞いてくるので、いいよと答えると大変嬉しそうな顔をします。

試しに先ほど「無い」と言われた料理をもう一度注文すると、今度はあるという回答が返ってきました。

当時外国のタバコは貴重品で彼らは喉から手がでるほど欲しかったのです。

翌日ホテルの前にアフワズの製鉄所から派遣されたジープが待っていました。

季節は8月の終わり、内陸地のシラーズの気温は朝9時で19度程度でした。快適だなと思ったのですが、それから土漠地帯を車に揺られた8時間はまさに灼熱地獄でした。

最高53度に達しましたが、ジープにはエアコンがなく、もう息も絶え絶えという感じです。

この時初めて車の窓を開けても涼しくならないという経験をしました。

窓を開けるとヘアドライヤーを直接顔に当てているようなもんです。とても耐えられません。

やっとの思いで目的地アフワズに到着しましたが、製鉄所が用意してくれたゲストハウスなるものに通された瞬間、留置所ではないかと思われる様な暗さと匂いにたまらず、「既に市内のホテルを予約しています。」と出まかせをいってお断りをしました。

その後、市内のホテルに部屋を取ったのですが、イラクとの戦場に近いこともあり、ホテルは戦傷者病院と化していました。

血だらけのイラン兵が次々とホテルに担ぎ込まれてくるのを見て唖然としました。

ほうほうの体で、翌日アフワズを脱出し、シラーズに戻り、テヘランに帰還するために空港に向かったのですが、空港に到着すると様子が何かおかしい事に気付きました。

空港の検査が異様に厳重なのです。聞いてみると、一本前のテヘラン行きの便がハイジャックされて敵国イラクに行ってしまったとの事でした。

いやー本当に大変な出張で、それ以来何百回と出張しましたが、この最初の出張以上にドラマチックな出張はありませんでした。

大変な経験をしましたが、一方で、重要な事を学びました。

イラン人はアメリカが大好き

予想していなかったのですが、イラン人の多くがアメリカ及びアメリカ文化が大好きな事には驚きました。

先ほどマルボロ、ケントの例を挙げましたが、コカコーラやアメリカンポップスなども大好きですし、イラン人の金持ちの多くは子女を出来るならばアメリカの大学に留学させたいと思っていました。

イラン人のビジネスマンに「同じ性能で同じ価格であればフォードとトヨタとどちらを買うか。」との質問をしたら、鼻で笑われて、「もちろんフォード。」との回答が返ってきました。

彼らの自宅に招待されると、ウイスキーは出てくるわ女性はスカートを履いているわでたまげました。

イランは反米の国であるとの印象をお持ちの方も多いと思いますが、それはイラン政府の立場であり、民衆の多くは違います。

中東には面白い事にイランの様に政府は反米、国民は親米という国と、エジプトの様に政府は親米、国民は反米という二つのグループがあります。

現在、国民の本音の部分が押さえつけられていますが、何かのきっかけで、イランが親米の国に戻る可能性は十分あると思います。

イラン革命が1979年に起きましたが、それ以前の米国の中東における同盟国はイスラエル、トルコそしてイランだったのです。

歴史は繰り返します。今後のイランの情勢には注目する必要があると思います。

北朝鮮もそうですが、イランがある日突然、米国とよりを戻し、日本だけ置いてきぼりをくらうなんてシナリオは避けたいですね。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。