MIYOSHIN海外ニュース

世界の役立つ情報をわかりやすくお伝えします。

知られざる中央アジア ウズベキスタン

f:id:MIYOSHIN:20200522143221j:plain

日本人抑留兵士に依って建設されたナボイ劇場

中央アジアの大国 ウズベキスタン

ウズベキスタンという国をご存知でしょうか。ウズベキスタンは人口3千万人を超える人口を誇る中央アジアの大国です。中央アジア全体の人口が約6千万人ですから中央アジアの人口のおよそ半分がウズベキスタンに居住している事になります。

この国はシルクロードの要衝であり、タシケントやサマルカンドといった街は古くからオアシス都市として栄えました。その昔、ティムールという英雄が大帝国を興し、中央アジアからトルコの一部までを征服しましたが、彼が帝国の首都を置いたのはサマルカンドでした。

しかし、その後、ウズベキスタンはロシアに組み入れられました。1991年のソ連邦崩壊に伴い、ウズベキスタンは独立を果たしましたが、独立後、私はこの国に足繁く通いましたので、今日は皆さんにこの国の知られざる側面をお話ししたいと思います。

独立直後のウズベキスタン

ウズベキスタンに通い始めたのは1990年代後半だったのですが、その頃、中央アジアの国々は欧米にどんどん門戸開放していく国と、昔ながらの閉鎖主義を貫く国に別れました。

隣国のカザフスタンは前者であり、ウズベキスタンは後者でした。

カザフスタンは原油を産出しますので、欧米の石油会社が巨額の投資を行い、急速に豊かになっていきました。しかしウズベキスタンは天然ガスは取れますが、世界に2つしか無い二重内陸国(もう一つはリヒテンシュタイン)ですので、天然ガスを輸出しようにも二つ外国を経ないと外海に達しません。

お隣のカザフスタンがみるみる豊かになっていくのを横目て見て、内心忸怩たる思いだったでしょう。というのも旧ソ連時代、中央アジアの中心はウズベキスタンだったからです。

ソ連時代4番目に大きな都市はどこだったでしょうか。モスクワ、レニングラード(今のサンクトペテルスブルグ)、キエフ(今のウクライナの首都)までは出てきますが、その後なかなか難しいですよね。実はタシケント(今のウズベキスタンの首都)なんです。この4つの都市には全て地下鉄があります。地下鉄が当時は大都市のステータスシンボルだったんですね。

日本人抑留兵士が建設したナボイ劇場

ソ連時代、大都市のステータスシンボルとしては劇場も挙げられます。大都市にはバレエやオペラを上演する立派な劇場があるんです。

ウズベキスタンの首都タシケントにも立派な劇場があります。 ナボイ劇場と呼ばれるその劇場は実は戦争捕虜となった日本人兵士により建設されました。

私もこの話を聞いた時はびっくりしました。シベリア抑留というのは良く聞かされていたので、満洲地方で投降した日本軍兵士はロシアのシベリア地方にのみ送られたと理解していたのですが、実は中央アジアにも多く派遣されていたのです。

ウズベキスタンだけでなく、お隣のカザフスタンやトルクメニスタンにも派遣されており、慰霊碑が今でも残っています。

タシケントに派遣された日本人抑留兵士達はナボイ劇場の建設を命じられます。おそらく食べるものもろくにない状態で働かされた(当時はウズベキスタンの人も社会主義経済のもと、厳しい経済状態にあったと推測します。)と思いますが、立派な建物を作りました。

親日家だったカリモフ大統領

1966年にタシケントを大地震が襲い、主な建物は殆んど倒壊します。その時、倒壊を免れた建物がこの日本人兵士が作ったナボイ劇場だったそうです。当時、市民の避難所としても使われたと伝えられています。

ウズベキスタンの初代大統領はカリモフ大統領ですが、彼は親日の政治家として知られています。彼が親日になったきっかけは、幼少の頃、ナボイ劇場の建設現場の横を通るたびに、真面目に働く日本軍兵士の姿を見て、母親から「日本人は捕虜になっても勤勉に働いている。彼らを見習いなさい。」と言われて育ったからだそうです。

彼はその死に至るまで大変な親日家でありました。勿論、幼少期の経験が強烈だったかもしれませんが、彼が日本を重視したのには、他にも理由があったと思います。

ウズベキスタンはソ連より独立間もない頃、何時周りの国々に独立を脅かされてもおかしくない状況にありました。確かに昔の宗主国ロシア、中国、米国、イラン、トルコと覇権を及ぼしかねない国がたくさんあります。支援してくれる国が必要でした。

彼らは必死に調査を行った結果、日本に白羽の矢を立てました。経済援助を一番してくれそうだし、覇権を及ぼす危険性もないという事でしょう。

彼らは日本最強の官庁である大蔵省(今の財務省)に狙いを定め、懸命に働きかけました。この様に積極的に日本政府にアプローチした国は中央アジアではウズベキスタンしかありません。彼らは大した戦略家なのです。

ウズベキスタンは見所沢山

ご興味があれば、ウズベキスタンを訪問されることをお勧めします。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァと世界遺産がたくさんある国です。

その上、食事が美味しい。やはり文化のあるところには美味い食事があります。ピラフの原型と言われるプロフだとか、うどんの様なラグマンなどがあり、日本人にも馴染みやすいです。

ウズベキスタン料理に飽きたら、韓国料理をどうぞ。何故中央アジアで韓国料理かと言いますと、スターリン時代に強制移住させられた朝鮮系の人たちが沢山ウズベキスタンに住んでいるからです。その数、二十万人以上と言われています。

彼らは移民3世、4世の世代ですから、韓国語はできないし、名前もロシア語風に変わっていますが、おじいちゃん、おばあちゃんから受け継いだ韓国料理を作っており、日本人には貴重なオアシスとなっています。韓国との関係も深いことから、大韓航空とアセアナ航空がタシケントに直行便を飛ばしています。コロナが終息したら、知られざる秘境ウズベキスタンを訪問されることを是非お勧めします。

 

↓ 気に入って頂ければ、応援ポチお願いします。

このエントリーをはてなブックマークに追加