移民は活力を生むか
昨日ブログで取り上げた投資家のジム ロジャース氏は国が栄えるか滅びるかはその国が移民をどれくらい受け入れるかで決まると言います。
アメリカンドリームを求めて多くの若者が押し寄せる米国は移民が活力の源泉になっているのに対して、日本は移民を殆ど受け入れないので、将来は暗いと断じています。確かに、日本の将来を思うと、移民を積極的に受け入れる以外、良い方法がみつかりません(日本人の出生率が大幅に向上するのがベストですが、それは現実的ではないでしょう。)
オスマン帝国黄金時代の宰相イブラヒム パシャ
以前、オスマン帝国が長く続いた理由として、異宗教への寛容性を理由の一つとして挙げました。5世紀にもわたって平和な時代が続いた理由は他にもまだあります。その一つは非トルコ人の積極的な登用です。今の言葉で言うとダイバーシティですね。
日本でも最近人気番組となっているトルコのテレビドラマ「オスマン帝国外伝」(原題:華麗なる一世紀、YouTubeでもご覧になれます)はオスマン帝国の最盛期であるシュレーマン大帝の一生を描いた大河ドラマです。このドラマ世界80か国以上に輸出された大人気ドラマですが、スルタン シュレーマン大帝の右腕として登場するのがイブラヒム パシャです。
彼は首相としてスルタンに次ぐNo.2のポジションにいた人ですが、トルコ人ではありません。生まれは今のギリシャのヴァルガ(当時はヴェネチア共和国)という村の出身で、キリスト教徒の漁師の家に生まれています。
えー、オスマン帝国の首相がキリスト教徒出身なんて信じられないとおっしゃるかもしれませんが、彼は例外ではありません。キリスト教徒出身の首相は彼以外にもたくさん出ました。
異教徒を活用する独特の徴兵制度
彼らが異教徒の家に生まれながら、オスマン帝国の出世の階段を頂点まで上り詰めたのには訳があります。オスマントルコには「デブシルメ」と呼ばれる制度がありました。
これは一種の徴兵制度であり、主にキリスト教徒が多いバルカン地方で行われたと言われますが、年端もいかない少年をキリスト教徒の農家一戸から一名「スルタンの奴隷」として徴兵したのです。彼らはまとめてイスタンブールに送られ、イスラム教に改宗させられます。一定期間トルコ語を習得することも兼ねて、農家に預けられた後、スルタンの近衛兵として有名なイェニチェリ軍団に組み込まれます。優秀だと思われる一部の少年たちは軍隊ではなく、オスマン帝国の宮廷に送られ、官僚エリートの道を歩みます。
イブラヒム パシャは後者のエリートの一人であり、彼の治世はシュレーマン大帝の黄金時代と言われています。
でも奴隷だったのにどうしてと思われるかも知れませんが、「スルタンの奴隷」と言う点がポイントです。一般市民の奴隷ではありません。
シュレーマン大帝の一時代前、15世紀にもスルタンの奴隷が存在しましたが、彼らは農家出身ではありませんでした。オスマントルコが征服した地域の王族や貴族の息子たちがエリート候補生として「スルタンの奴隷」として宮廷で仕えていました。
「スルタンの奴隷」はむしろ一般市民より位が上という事なのです。彼らは妻帯も許されていましたので、首相を務めたイブラヒム パシャなどはシュレーマン大帝の実の妹と結婚しています。
でも無理やり農家から徴兵するなんてかわいそうだとの声もあります。前述のテレビドラマ「華麗なる一世紀」ではイブラヒム パシャが幼少の頃、実家に兵士が押し入り、彼を家族から引き離す様を回想するシーンがあります。実の母親は彼の名前を叫んで別れを惜しみました。
確かに家族から引き離されるのは、辛かったと思います。しかし、考えようによっては、息子が大帝国の首相に上り詰める道が開かれたわけです。当時の農家はそれほど余裕がなかったでしょうから、口減らしにもなったはずです。両者にとってメリットがあったとも言えます。
官僚制度のオスマン帝国
オスマン帝国はこの様に、異教徒の子供を徴兵したり、官僚として育て上げる事によって、その力を維持しました。日本の江戸時代は貴族制ですが、オスマントルコは官僚制を採用しています。この差は大きいですね。
貴族制の欠点は初代大名は優秀かも知れませんが、その子供はバカ殿になる可能性があるわけです。その点、官僚制は一代限りです。江戸時代の日本は島国であったから、外敵の侵入もなく、長い平和な時代を続けられたかも知れませんが、オスマン帝国の様に周りが強敵だらけという環境では、実力主義の官僚制をとる他はなかったという事でしょう。
オスマン帝国ではトルコ人だけが偉そうにしていたと思っていた方も多いと思いますが、実は適材適所で、非トルコ人をうまく起用しながら、多民族、多宗教の帝国を統治していました。首都イスタンブールのイスラム教徒と非イスラム教徒の比率は帝国の治世ほぼ、6割:4割を維持していたと言われます。この多様性が帝国の活力を生みました。日本もできるものなら、外国の若い人の力をうまく活用できれば良いのですが。移民を受け入れるにはタイミングがあります。本当に落ちぶれてしまったら、外国の人たちは日本を目指しません。
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