MIYOSHIN海外ニュース

世界の役立つ情報をわかりやすくお伝えします。

イスタンブールの世界遺産アヤソフィアが再びモスクに

f:id:MIYOSHIN:20200712154449j:plain

アヤソフィアって何?

イスタンブールの世界遺産アヤソフィアを現在の博物館からモスクに変更するという判断がトルコの裁判所で下されました。このニュースは世界中で反響を呼んでいますが、アヤソフィアご存知ない方もいらっしゃると思いますので、わかりやすくこの寺院の歴史をご紹介したいと思います。

アヤソフィアは東ローマ帝国時代ユスティニアス帝により首都コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)に537年に建設された巨大な寺院です。

この建造物はしばしばビザンチン時代の最高傑作とみなされますが、当時、キリスト教正教会の大聖堂として帝国随一の格式を誇りました。

特徴的なのは巨大なドームであり、1520年にセビリア大聖堂が建設されるまで、ほぼ1000年に亘り、世界最大の寺院の地位を守り続けました。

一歩、アヤソフィアの中に足を踏み入れると、その巨大な空間に驚かされます。

私も最初にこの寺院に入ったときには、鳥肌が立つほどの感動を覚えました。

トルコは有名な地震国です。石で組み立てられたこの建造物は数々の大地震に1500年近く耐え、今も昔のままの姿を見せています。

ギリシャ出身の建築家と数学者が起用されたと伝えられていますが、まさに奇跡的な建造物と言えるでしょう。

1985年にユネスコから世界遺産に認定され、毎年3,500万人が訪れるイスタンブールの最重要観光スポットです。

アヤソフィアの数奇な運命

このアヤソフィアは波乱万丈の運命を辿ります。

コンスタンチノープルは十字軍の襲撃を受けて、1204年−1261年の間、カトリックの影響下に置かれます。正教会は1261年にこれを奪回しますが、多くの聖櫃物が紛失したと伝えられています。

その後、1453年にオスマントルコ軍との包囲戦に敗れたコンスタンチノープルは陥落し、東ローマ帝国は滅びます。

征服王として有名なオスマン帝国のメフメット二世はコンスタンチノープルを帝国の首都と定め、アヤソフィア寺院をキリスト教寺院からイスラム教のモスクに変えます

偶像崇拝が禁止されているイスラム教の教えに則り、アヤソフィアの壁面に描かれていたモザイク画は全て漆喰で覆われました。

その後、アヤソフィアはモスクとして使われていましたが、オスマン帝国が終わりを告げ、トルコ共和国が1923年に誕生します。

初代大統領ケマル アタチュルクは思い切った近代化改革を行います。婦人参政権を実現し、アルファベットを導入した彼の改革の目玉の一つが政教分離でした。

イスラム教の強い影響下にあったオスマン帝国に別れを告げ、宗教と政治を厳格に分けたのです。

その一環として、アヤソフィアをモスクから博物館とする事が決定されました。この決定はトルコの世俗性を象徴する措置として国際社会にも評価されました。

今回の決定に関する賛否両論

今回のモスクへの再帰については賛否両論があります。現地の新聞Hürriyet次の様に伝えています。

  • 最も厳しい反応はギリシャ及びロシアです。(注:彼らはギリシャ正教を信じていますので、未だにアヤソフィアをギリシャ正教の総本山とみる人もいます。)ギリシャの首相は「今回の決定はギリシャだけではなく、EUとの関係にも大きく影響するだろう」と伝えています。
  • ロシアTAS通信は「今回の決定は、多くのキリスト教徒の意見を無視し、宗教間の対立を悪化させる。」と報道しました。
  • EUボレル外務代表も「近代トルコの決定を覆す今回の決定に失望している。」とコメントしました。
  • 米国の国務省は「今回の決定は遺憾である。アヤソフィアは全ての人に今後も開放されると理解しているが、問題なく誰もが訪問できる様にして欲しい。」と見解を発表しています。
  • 世界遺産を管理しているユネスコは次回の会議でアヤソフィアのステータスについて見直すと発表しました。
  • ロンドンに拠点を持つ英語及びアラビア語の日刊紙Asharq Al-Awsatは「アヤソフィアをモスクから博物館にするという決定はオスマン帝国が滅びた後、トルコ共和国が行った最も重要な改革の一つであった。エルドアン大統領は最近、コンスタンチノープルのオスマン帝国による征服に重きを置き、何度も祝勝会を行っている。」と今回の決定を批判しています。
  • 一方、パレスチナのHamas Movementや多くのアラブ系ジャーナリスト「今回の決定は歴史的一歩であり、アラブ諸国に大きな反響を呼んでいる。」と評価しています。
  • シリアのSiba Medvar氏は「今、世界はペインのKurtbaの寺院をモスクに戻すことを議論できるだろうか。この寺院はモスクだったものを昔キリスト教の寺院に改造されたのだ。エルドアン大統領の決断は歴史的だ。」と述べています。
  • クウェートの作家Casim el-Ğaysは「世界中のイスラム教徒がアヤソフィアがモスクに戻る事に喝采を叫んだ。80年間の沈黙を破り、アヤソフィアからアジャーン(お祈りの放送)が響くことを夢見る。」と伝えました。

トルコの寛容さは今後も重要

トルコの新聞はこうやってみると、世界の賛否両論を欧米メディアに偏ることなく、伝えている事がわかります。

私は個人的には、アヤソフィアは博物館のままにしておいた方が良かったと思います。

そうした方が、トルコという国の持つ如何なる宗教も受け入れる寛容な特質がアピールできたのではないでしょうか。

イスラム系の国の中には、サウジの様に厳格な規律を求める国と、トルコの様に緩い規律で異教徒に優しい国があります。

世界中で宗教の違いによる暴力や差別が起きている中、オスマン帝国時代から異宗教に寛容だったトルコ人の特質は、非常に価値があるものだと思うだけに、今回の決定は若干残念です。

但し、アヤソフィアはトルコの持ち物であり、それをどの様に使うかはトルコ国民が決めるものですので、彼らの判断は受け入れるべきと思います。

 

エルドアン大統領は、今後もアヤソフィアはムスリムにも非ムスリムにも開放し続けるとコメントしていますので、観光する上ではあまり問題は無いと思います。

f:id:MIYOSHIN:20200517155620j:plain

一つだけ気になっているのは、中にある素晴らしいモザイク画の処置です。偶像崇拝を禁止するイスラム教はこのモザイク画を覆ってしまうかも知れません。

これだけは避けて頂きたいと思います。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。