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台湾の李登輝元総統は何のために政治を行ったか

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波乱万丈の李登輝氏の人生

台湾の元総統李登輝氏が亡くなられました。97歳でした。

台湾の民主運動の父と呼ばれるこの人の経歴を調べると、まさに時代の荒波に激しく揺さぶられながらも、信念を持って生き抜いたタフな政治家の一生が浮かび上がります。

 

 李登輝氏に関する年表

彼の主な経歴は下記の通りです。

1923年、日本統治下の台湾で生まれる

1942年、京都大学に入学し、農業経済学を専攻する

1945年、日本軍に入隊し、終戦を迎える

1946年、台湾大学経済学部に編入

1968年、コーネル大学で博士号を獲得

1971年、国民党に入党

1984年、副総統に就任

1988年、蒋経国死去に伴い総統に就任

1992年、「一つの中国」を中国、台湾が口頭で確認

1996年、台湾初の直接選挙による総統就任

1999年、中国と台湾の二国論を主張

2000年、台湾総統退任に伴い、国民党党首退任

 

彼がこれまでくぐり抜けてきた難関は、調べれば調べるほど驚く内容で、正に事実は小説より奇なりです。

下記のの事実を見ると、命がいくつあっても足りないほど、政治的な修羅場をくぐり抜けている事がわかります。

 

先ず、彼は、第二次世界大戦中に台湾人でありながら、日本軍に従軍し、陸軍二等兵から始まり、最後は名古屋で終戦を迎えています。

彼には台湾人という感覚はなかったらしく、「私は22歳まで日本人だった。」と語っています。

因みに彼の2歳上の兄も日本海軍に入隊し、フィリピンで戦死しています。

 

その後、彼はアメリカで博士号を取ってから、台湾に戻り、政治の世界に入って行きますが、その頃は中国本土で共産党との戦いに敗れて、台湾に逃れてきた蒋介石の国民党の天下です。

その頃、蒋介石の息子蒋経国の暗殺未遂事件が起きます。

李登輝は事件の犯人と親しかったので、取り調べを受けますが、証拠不十分で釈放されます。

そんな経緯があるも拘らず、彼はその後、蒋経国の知遇を得て、国民党に入党し、副総統として起用されます。

蒋経国の死後、副総統の李登輝が総統に就任しますが、この時も蒋介石の未亡人宋美齢の猛反対を受けました。

 

その後、徐々に党内基盤を固めた李登輝は総統の直接選挙制への移行を試み、最終的に台湾初の直接選挙による総統に就任します。

これも特権を享受していた「万年議員」の強い反対を押し切ってのものでした。

 

1992年、李登輝総統は、中国と台湾が一つの国に属するという「一つの中国」案を支持していました。

しかし、1998年クリントン大統領が中国公式訪問事に台湾の独立を認めないとの発言をした後、1999年に李登輝総統は「二つの中国」論を唱え始め、中国より強い批判を受けました。

 

国民党の党首を辞任した後、軸足を国民党から民進党に移し、総統選挙でも民進党候補を応援る様になりました。

 

李登輝氏の評価

上記の様に、立場により、政治的主張が異なるため、「台湾独立を諦めていないが、駆け引き上手な現実主義者」というイメージを台湾国内では持たれているそうです。

 

しかし、これだけの難局を乗り越えて、結果的に台湾の独立を守り通した李登輝氏の政治的手腕は高く評価すべきとと思います。

政治家は結果が全てです

理想論を唱えて結果が出ない政治家は評価されません。

 

台湾を併合しようとする中国の圧力は、我々が想像できるレベルのものでは無いと思いますので、彼は巧みな交渉術と外交戦略をもって、圧力をうまくかわし続けたと言って良いと思います。

 

彼が超がつくほどの親日政治家である事は良く知られていますが、本音はともかく、これも彼の深謀遠慮だと思います。

 

彼は安全保障面で、中国に対抗するために、米国と日本が重要だと思ったに違いありません、

 

そして、米国と日本をして台湾を守らせる根拠として、「民主主義」を中心に据えたのだと思います。

彼が台湾総統の直接民主制移行に拘ったのはそこだと思います。

決して民主主義が先にあった訳ではありません。

台湾を中国から守るために何が重要かと考え抜いた末に出てきた結論が「自由と民主主義」だったわけです。

 

最近の香港、台湾をめぐる動きを見ていますと、彼の洞察は正しかったと思います。

彼が亡くなる直前のインタビューで発言した次の一言が、印象に残っています。

 

混迷を極める香港問題をきちんと処理できるかどうか。これこそが中国共産党の習近平体制にとって最大の試金石になるだろう。裏を返せば、香港問題を思うように解決に導けたなら、中国は次に台湾に、そして沖縄に照準を合わせてくる。なぜか。それは理屈ではなく、中国が本質的に持つ覇権主義的な思想に基づくものだ。彼らのレゾンデートル(存在理由)ともいうべきものだ。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。