米国の事実誤認
ポンペオ国務長官は、最近記者団に対してトランプ政権の2期目に言及して、物議を醸していますが、トルコでも彼の訪問は波紋を広げています。
彼は今週から外遊を開始し、フランスなど6カ国を訪問予定ですが、その中にトルコとサウジアラビアが含まれています。
この時期にトルコを訪問する理由が良く理解できなかったのですが、トルコの新聞を読んでいて、その理由が「イスタンブールで東方教会総司教に会う」事だと知り、驚きました。
彼はトルコ滞在中、大統領を含めトルコ政府高官と会う予定はないのです。
米国国務省の説明によれば、「宗教の自由」について国務長官は総司教と語り合う予定との事です。
おそらくはトルコにおいて宗教の自由が侵害されている事を世界中に発信したいものと推測しますが、これは事実誤認も甚だしいと思います。
トルコ政府の肩を持つわけではありませんが、イスラム教徒が多数を占めている国で、トルコほど宗教の自由が保たれている国は無いと思います。
我々は、世界史の授業で1453年にビザンチン帝国(東ローマ帝国)がメフメット2世率いるオスマントルコによって滅ぼされたと教えられましたが、オスマン帝国がその後、非イスラム教徒である東方教会信者(オルトドックス)やユダヤ教徒をどの様に遇したか教えられませんでした。
日本の世界史は欧州の史観に基づいていますので、西欧人に不都合な事は省かれています。
実はオスマン帝国は非常に異宗教に寛容だったのです。
人頭税さえ払えば、イスラム教以外の宗教も許容されました。
これを聞いたイベリア半島のユダヤ人はレコンキスタでキリスト教徒から厳しい迫害を受けたこともあり、船でイスタンブールに命からがら逃げてきました。
このユダヤ人たちはその後、オスマン帝国で金融業を営み、16世紀にオスマントルコがウィーン攻略作戦を行った際の戦費を用立てたと言われています。
このエピソードが示す通り、オスマン帝国は宗教の自由を認めており、その流れを汲むトルコ共和国も同じ方針を維持しています。
共和国の初代大統領アタチュルクが定めた政教分離は憲法にも明記されています。
イスタンブールを訪問された方はご存知と思いますが、お酒は飲めるし、シナゴーグを含め多くの非イスラム系の寺院が存在します。
これほど宗教の自由が認められた街で「宗教の自由」を議論するという国務長官の真意がわかりません。
もし宗教の自由を問題にするなら、トルコの後に訪問するサウジアラビアで議論すべきでしょう。
しかし米国政府は武器のお得意様であるサウジの問題には目を瞑るのです。
こういったダブルスタンダードは米国が民主主義の盟主を任ずるのであれば、改めるべきと思います。
ポンペオ国務長官のイスタンブール訪問の目的が明らかになるにつえ、トルコ政府も批判を開始しました。トルコ紙「Hürriyet」は次の様に伝えています。
Hürriyet記事抜粋
ポンペオ米国務長官がトルコ訪問の際に、宗教の自由の問題を提起するという発表は、11月11日トルコ政府の反発を引き起こしました。
彼がイスタンブール滞在中、トルコ政府首脳との面談が予定されていない事は注目に値します。
唯一予定されている面談は、ギリシャ正教の精神的指導者であるバーソロミュー1世とのものです。
パリに続いて、「ポンペオ国務長官はイスタンブールを訪れ、総主教であるバーソロミュー1世と会い、トルコとその地域の宗教問題について話し合い、世界中の宗教の自由に対する私たちの強い姿勢を示します。」 と国務省は語りました。
外務省のスポークスマン、アクソイ氏は声明のなかで、過去20年間の宗教の自由の分野におけるトルコの進歩に触れ、「国務長官の訪問に関する報道発表で使用された表現はは事実と異なります」と述べました。
「米国は先ず鏡を見て、人種差別、イスラム恐怖症、ヘイトクライムなど自国の人権侵害に対して対処することがより適切だろう」とも主張しました。
また、「トルコは外国の公式ゲストが訪問国の宗教コミュニティの代表者と会うことに異議はない」と考えていることを強調し、その多様性と何世紀にもわたってさまざまな宗教を受け入れてきたトルコの歴史的事実を強調しました。
「世界中の宗教的少数派、特にイスラム教徒は、不利な条件と絶え間ない脅威の下で礼拝を行うことを余儀なくされていますが、非イスラム教徒のトルコ国民は自由に宗教的義務を果たすことができました。
さまざまな信仰において、トルコ市民の崇拝の自由が保護されています。」と彼は語りました。
オスマン帝国の知恵
今回、トルコ政府側に、米国につけこまれる隙が全くなかったかと言われれば、そうではありません。
今年になってトルコが誇る世界遺産アヤソフィアがモスク(イスラム教寺院)として使われ始めた事は注目すべきです。
アヤソフィアは元々は6世紀にキリスト教の寺院として建立されましたが、オスマントルコによる征服により、1453年にイスラム教のモスクに変更されました。
1923年にトルコ共和国初代大統領アタチュルクが政教分離の象徴としてこのモスクを博物館にしたのですが、今年になってトルコ政府は再度モスクとして使用する事を許したのです。
この広大な寺院は今でも東方教会(オルトドックス)の総本山としてみなされていますので、東方教会の信徒はこのトルコ政府の判断に激しく反発しました。
今回のポンペオ国務長官の訪問の伏線となった事件だと思います。
しかし、トルコで信教の自由が制限されているという米国の主張は誤りであり、宗教間の対立を煽るプロバガンダでしかありません。
社会の分断を煽るのがトランプ氏の手法かもしれませんが、異教徒を認め、社会の融合を優先させ、400年を超える平和で安定した時代をもたらしたオスマン帝国の手法に学ぶ必要があるのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。