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米中の誤解が対立を紛争に変える- 朝鮮戦争から学ぶ教訓

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対立国に対する誤解が引き起こした朝鮮戦争

共産党が政権を取ってからの中国は米国と戦争した事があるでしょうか。

朝鮮戦争で彼らは戦っています。

中国は義勇軍という名目で、米国は国連軍の一部という形で参戦しましたが、朝鮮戦争の実態は米中両国の戦争でした。

この戦争が如何にして生じたのか、その原因は何かについて、英誌Economistが「Lessons from the battles between America and China, 70 years on - When America and China went to war」(米国と中国の戦闘から学ぶ教訓 - 米中が戦争に突入した瞬間)と題して記事を掲載しました。

かいつまんでご紹介したいと思います。

Economist記事要約

70年前の今月、毛沢東が率いる中国人民解放軍は、アメリカに歴史上最悪の軍事的敗北を負わせました。

彼の「義勇軍」は、35万人の米軍とその同盟軍を、中国の国境から急速な撤退を余儀なくさせました。

中国人はその過程で膨大な犠牲者を出し、戦争はさらに3年間続き、アメリカ主導の国連軍は二度と半島を再統一すると宣言する事はありませんでした。

この屈辱は、狂信的なマッカーサー将軍が、中国人に鴨緑江を渡らせないと、わずか数週間前にトルーマン大統領に約束した事から更にひどいものになりました。

マッカーサー将軍たちは、マイナス30°Cの環境下、綿の軍服と帆布の靴を履いて戦った中国兵は深刻な敵ではないと主張しました。

アメリカの将軍は彼らを「洗濯屋の束」と蔑みました。

それは昔から良く見られる超大国の傲慢であり、10月の壮大な70周年記念イベントで習近平が表明した通り、軽蔑に値するものでした。

第二次世界大戦において見事な勝利に酔った1950年頃の米国は、危険な不敗神話を信じていました。

マッカーサーを含め将軍の何名かは、人種主義的な偏見もあり、アジアの能力を過小評価していました。

大統領が「選挙を盗む」(Steel an election)なんて事に夢中になっている様な現代のアメリカが、中国との最初で唯一の戦争を殆ど記憶に留めていないのは不思議ではないかもしれません。

一般のアメリカ人は過去の勝利と敗北について殆ど知りません。

アメリカの学校は殆ど軍事史を教えておらず、民主主義は過去の軍国主義的な見方に触れたがりません。

核時代の最初の「限定」戦争である朝鮮戦争も、忘れ去られていますが、この戦争は双方に意義のある教訓をもたらします。

 

91歳の引退した海兵隊員であるジャック ラケットから聞いた戦場の回想は、この戦争の真相を物語っています。

彼は1950年11月27日の夜、最前線で長津湖の上の尾根を占領していました。

爆発に目覚めたとき、彼は中国人の大部隊の攻撃を受けていました。

「敵は私たちより遥かに数が多かった」と彼は語りました。

毛沢東の諜報部長は、米軍は優れた軍備を有しているが、戦意に欠けていると毛沢東に進言しました。

凍傷で足を失うまでにラケット氏が戦ったその後の17日間の戦いは、諜報部長の毛沢東への進言は間違いであった事を証明しました。

12万人の中国人に囲まれて、第1海兵師団は、凍った山々を通り抜けて英雄的な撤退を行いました。

ラケット氏の部隊250名のうち11名だけが生き残りました。

彼らは、中国兵にはるかに重い犠牲を負わせながら、負傷者と軍備を避難させました。

海兵隊にとって「凍った長津」は「硫黄島」と並んで重要な戦闘でした。

「海兵隊を存続させるべきどうかについての議論を終わらせたと言っても過言ではありません」と最近引退した統合参謀本部議長のダンフォード将軍は語ります。

彼の父は中国の攻撃の日に長津湖で彼の20歳の誕生日を祝いました。

 

撤退の後の米軍の振る舞いに関する、イギリスの歴史家であるヘイスティングスの分析は、アメリカがどのような超大国であるべきかについて有益な示唆を与えてくれます。

マッカーサー将軍は同盟国の懇願に耳を貸さず、アメリカの力の限界を受け入れることを拒否しました。

彼は中国に対して核兵器を利用したいと考えました。

これにトルーマン大統領は抵抗し、トルーマン大統領はマッカーサーをを解任しました。

この事件は、それ以来ルールとなったシビリアンコントロールを確立しました。

 トルーマンの多国間主義と抑制は、共和党の後継者であるアイゼンハワー大統領が戦争の遂行を維持したときにも立証されました。

アメリカと中国は、それぞれ当初の目的である韓国の確保と、アジアにおけるアメリカの存在に対する韓国の緩衝を確保することで決着をつけました。

アメリカはその過程で40,000人の命を失いましたが、中国の犠牲者はおそらく10倍に上ります。


アメリカ人がこの重大な過去に関心を持っていないということは、彼らの落ち着きのない民主主義を反映しています。

アメリカの中国との戦争から2つの教訓を得る事ができます。

誤解の霧の中で、双方がお互いを致命的に過小評価していました。

そして、それぞれが相手のレッドライン、つまり対立を紛争に変える超えてはならない一線に関して間違った考えを有していました。

今日の状況は非常に異なって見えるかもしれません。

しかし、過小評価や誤解の可能性は依然として存在しています。

そしてそのギャップは彼らの対立とともに大きくなっています。

朝鮮戦争から学ぶ教訓

戦争を避ける努力は外交において最も重要な仕事です。

バイデン政権で国防長官候補だったフロノイ女史は以前ご紹介した「アジアでの戦争を避けるには」と題した論文で次の様に述べています。

「米中の対立において、戦争のリスクを減らすことほど重要なことはありません。

しかし、南シナ海や、台湾などに関する米国の意欲や能力についての中国の誤算によって、簡単に紛争に陥る可能性があります。」 

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 朝鮮戦争においては、米中両国が相手の戦力やレッドライン(絶対に譲れないもの)に関して間違った判断を行った事が、戦争を引き起こしました。

50万人以上もの戦死者を出したこの戦争から米中両国は戦争を避ける方法をを学ぶ事ができるのではないでしょうか。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。