スターリンの恐怖政治
今日は久しぶりのアネクドート特集です。
今回はあの怖ーいスターリンにまつわる話から始めましょう。
共産主義国のリーダーで怖い人は他にもカンボジアのポルポトとか色々いますが、恐怖で統治したリーダーの代表格といえばこの人でしょう。
裸のお尻でハリネズミの上に座れる場合とは
- それが自分のお尻ではない場合
- ハリネズミの針がきれいに削ぎ落とされている場合
- スターリンがそれを命じた場合
政権をとったばかりのスターリンが演説を終えた。
周りの同志に感想を求めたところ、トロツキーが応えた。
「とても良かった。演壇から降りるところが」
(政権初期にはこんなやりとりもあったんでしょうか。トロツキーはメキシコまで逃げましたが、スターリンが送り込んだ刺客に暗殺された事はご存知の通り。)
愛用の腕時計が見つからないスターリンが側近ベリヤを呼び出した。
「腕時計が見つからない。すぐに探し出せ。」
ベリヤは直ちに犯人探しを開始した。暫くして腕時計はスターリンの机の中で見つかった。
スターリンはベリヤを再度呼び出して、「腕時計は見つかった。捜査はもう不要だ。」と伝えた。
これに対してベリヤは答えた。
「同志、遅すぎます。既に20名の容疑者を逮捕し、全員が犯行を自供しました。」
ある日、スターリンは全軍に命令を発した。
「偉大な祖国を守るため、ロシア人は全員最後まで戦え。投降するものは射殺しろ。」
ところが翌日、ある部隊がドイツ軍に投降したとの報せが入った。
スターリンは帰ってきた部隊の政治士官を呼び出し、詰問した。
「どうして奴らを射殺しなかったのか。」
政治士官は恐る恐る答えた。
「奴らはウズベキスタン人部隊でして、ロシア人ではないと言って投降しました。」
(多民族国家のソ連の実情を表しています。)
ソ連に酒乱が多いのはウォッカの飲み過ぎが原因であると結論づけたソ連政府は国産ビールの生産に乗り出した。
試作品が完成し、ビールの本家本元チェコのピルゼンビール研究所に品質検査を依頼した。しばらくして結果報告書が送られてきた。
「貴国の馬の健康状態は良好であることを証明する。」
老婆「この立派な建物は何だい」
男「これはレーニン廟だよ。レーニンを祀ってあるんだよ」
老婆「レーニンって誰だよ」
男「新しい神様さ」
老婆「聖レーニン様、お願いだからボルシェビキとやらをやっつけて、また教会に行ける様にして下さい。アーメン」
ドイツ軍に包囲されたレニングラードの篭城戦が続く頃、守備隊長より電報が届いた。
「もっと強いウォッカを送って下さい。外の気温はマイナス45度、ここにあるウォッカの度数は40度。これでは戦争になりません。」
ロシアの報道は次の三つのカテゴリーに分かれている。
- 真実である。
- 多分真実である。
- 真実でない。
第一のカテゴリーは時報である。第二のカテゴリーは天気予報である。その他の報道は全て第三のカテゴリーに類する。
スターリンの爪痕
第二次世界大戦の主戦場が太平洋戦争や史上最大の作戦で有名なノルマンジー上陸作戦を中心とした米軍とドイツの戦いであると信じている方もおられますが、ソ連とドイツの間で戦われた東部戦線が圧倒的な死傷者を出しました。
この大祖国戦争を率いたスターリンは今でもロシアの一部の人からは英雄視されています。
その一方で、この独裁者が行った非人道的政策は今でも旧ソ連諸国に大きな爪痕を残しています。
その一つが民族の集団移動です。
現在中央アジアには数十万人単位で朝鮮系の人たちが居住しています。
彼らは元々はソ連の極東部に住んでいましたが、日本とソ連の緊張関係が高まるにつれ、朝鮮族が日本側に寝返るのではと心配したスターリンが強制的に数千キロ移動させ、中央アジアに移住させたと言われています。
今では韓国語を話せなくなった3世、4世の人たちがタシケントやアルマティに朝鮮系コミュニティーを形成しています。
スターリン自身もロシア人ではなく、グルジア系だったわけですが、そういう出自が逆に少数民族に対して疑い深くさせたのかも知れません。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。