イランとの協議開始
米国に限らず、どの政権も設立直後の100日間が重要と言われています。
一般的に最初の100日は目新しさも手伝って、国民の支持率が高く、新政権は思い切った政策を打ち出せるからです。
バイデン政権もコロナ感染が広がる中、クリーンエネルギーなど主要政策に関して、始動を開始しています。
同政権の主要課題の中で、最も難易度が高いと目されていた、イランとの核交渉もいよいよ本格的な交渉が開始される様です。
イランに対する制裁緩和を望んでいる欧州がこれをどう見ているか、仏紙Les EchosのNucléaire : vers des négociations entre Téhéran et Washington sous l'égide de l'UE(核:EUの支援の下でテヘランとワシントンの交渉始まる)と題した記事から推察してみましょう。
Les Echos記事要約
テヘランとワシントンは今週末、原子力に関する交渉再開に向けて動きました。
中国とロシアの参加を得たEUの支援の下での両者の議論は、2016年以来初めてのことです。
トランプ大統領は、イランと大国(米国、ロシア、中国、ドイツ、フランス、英国)が2015年に署名したいわゆるイラン核合意から2018年5月に離脱しました。
この合意は、核兵器生産を準備している疑いのあるイランの核開発計画を凍結させる事と引き換えにイランを国際社会に再度参加させる事を目指したものでした。
トランプ氏は制裁を復活させ、事実上、イランの石油輸出は5分の4削減されました。
石油はほとんどすべての外貨収入の源です。
報復として、イランは核合意に基づくウラン濃縮に関する義務の多くを段階的に廃止しました。
敵意の40年
テヘランは、ワシントンが核合意の条件に再び復帰する前に制裁を一時停止することを要求し、バイデン政権は、テヘランが合意の基本条件を遵守するまで制裁を解除できないと述べています。
EUが審判役となって両者が同時に行動を起こせば、この「第一歩」問題は理論的には解決できますが、1979年のイスラム革命以来イランは米国の敵国と見なされているため、この問題は難易度が高いです。
1979年以来、両国のトップが直接の会話を行ったのは、2013年にオバマ大統領とイランの最高指導者が行った電話会議のみです。
宥和のメッセージ
両国政府は、最近、象徴的な措置と宥和のメッセージを交換しています。
イランのアラクチ外務副大臣は土曜日、現在の核合意メンバーと米国との間の非公式会合に関する欧州連合の提案を「検討している」と発表しました。
ザリフ外相は、2月初旬に、彼のEUのカウンターパートであるボレル氏がが国際的な対話を調整する事によって、米国とイランの間の行き詰まりから抜け出せるのではと示唆しました。
土曜日に、イラン政府のスポークスマンは、「当事者の約束への復帰への自然な前奏曲」に付き物の絶え間ない「外交的駆け引き」はあるだろうが、アメリカの制裁は早急に解除されるだろうと発言しました。
一方、バイデン側は木曜日に、トランプ氏によって課されたイラン外交官のニューヨークでの旅行制限を解除しました。
そして彼は、前任者とは反対に、西側の同盟国と再び緊密に協議することを計画している事を打ち明けました。
ワシントンとテヘランが本音では手を差し伸べようとしていても、交渉上立場を良くすることを目的としたブラフや挑発を防ぐことはできません。
1月に可決された法律によれば、イランは、疑わしい軍事施設を含む非原子力施設に対する国際原子力機関(IAEA)による事前通知なしの検査を一時停止することになっています。
この措置は核サイトの検査に実質的な影響を与えないため、問題ありません。
テヘランは、IAEAとの協力をやめず、査察官を追放しないと強調しました。
国際原子力機関(IAEA)の長官であるグロッシは、土曜日に2日間の会談のためにテヘランに到着しました。
日曜日の夕方、彼は、火曜日からの検査が制限される場合でも、「満足のいく」監視を維持するため3か月の「一時的な解決策」をイランと一緒に見つけたと発表しました。
米国の核合意への復帰に関して最大の障害は弾道ミサイル計画と地域干渉(レバノン、シリア、イエメン、イラク)ですが、バイデン政権は、英仏の支援を受けて、これらをイランと協議する事を要求しています。
イランは、これらが安全保障上の重要な問題であると考え、それを絶対に拒否します。
金曜日バイデン氏は、イランの「地域を不安定にする活動」に対して、対応するようにヨーロッパ諸国に呼びかけました。
バイデン氏国内の反対を抑え切れるか
昨日のブログでバイデン氏の中東政策はトランプ政権のものと大きく変わるとお伝えしました。
その中でも対イラン政策は中核をなすものと言って良いでしょう。
トランプ政権はサウジなどスンニ系保守派と組んで、イランを徹底的に敵視化し、制裁を与え続けました。
一方で湾岸の同盟国には極めて甘く、ダブルスタンダードとの批判を受けました。
バイデン氏はこの構図を根本的に変えようとしている様に思います。
もちろんその背景には米国の中東離れという基本方針があるのは確実です。
もはや米国にとって中東は以前ほどの重要性がなくなり、多くの米軍を貼り付けて、この地域の安全を守る価値はなくなっているのです。
そういう環境の中で、米国の国益を最大限守るためには、中東の大国イランを懐柔した方が得だという計算があるのだと思います。
皆さん、テヘランの街を歩くイラン人女性がかぶるスカーフにご注目ください。
アラブ諸国の中で見られる様な深いスカーフの被り方は極めて少なく、前髪が見えている人が多いはずです。
そうです。イランはスンニ派のサウジとは違い、イスラム教シーア派の国であり、シーア派は伝統的に世俗的なのです。
ある日、イランが米国寄りの国になったとしても、不思議ではありません。
イスラム革命が1979年に起きる前のイランは中東で最も米国寄りの国でした。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。