トルコの向かう道
私が愛するトルコはここのところ、各国メディアでしばしば取り上げられています。
例えば、シリアやリビア内戦への軍事行動、東地中海の天然ガス資源をめぐる欧州との衝突、ナゴルノ=カラバフ紛争への関与、国内では通貨リラの暴落など話題に事欠きません。
トルコは長い間、NATOの加盟国として、安全保障面で欧米の同盟国として機能してきました。
しかし冷戦が終結した後、西側の価値観に相違感を感じ始めた様です。
今後トルコは何処に向かうのでしょうか。
米誌Foreign Affairsが「Turkey Will Not Return to the Western Fold」(トルコは西側には戻らない)との論文を掲載しました。
著者のASLI AYDINTASBASさんは、現在欧州評議会の外交委員会顧問を務めていますが、以前はトルコのリベラル系各紙の論説委員を歴任された方です。
Foereign Affairs論文要約
サミュエル ハンチントンが1993年に「Foreign Affairs」に寄稿した「文明の衝突」は過去30年間、賛否両論に晒されてきました。
しかし、文化的アイデンティティがポスト冷戦時代の政治を推進するという彼の指摘はトルコについて正しかったと思われます。
ハンティントンは、冷戦が終了すると、トルコの世俗的なエリートの親欧米傾向がナショナリストとイスラム的要素によって置き換えられるだろうと予測しました。
その指摘は的を射ていました。
控えめに見ても、過去数年間、トルコと欧米の関係は混乱してきました。
トランプ大統領とエルドアン大統領は、ほぼすべての政策問題を犠牲にして二国間関係を個人化しました。
トルコは、米国がシリアのクルド軍を支援し、2016年に失敗したクーデターの首謀者として特定された聖職者フェトフッラー ギュレンをかくまっていることから、米国を信用していません。
トルコとヨーロッパとの関係もよくありません。
ヨーロッパの指導者たちは、トルコの非自由主義の高まりと、地中海東部での軍事力の強化にうんざりしています。
その間、トルコ政府は新しいパートナーに目を向けました。
政府は、NATO同盟国の意向に反して、ロシアの兵器システムを購入し、ガスパイプラインやトルコ初の原子炉などの主要なインフラプロジェクトでロシアと協力してきました。
トルコとロシアは共にリビアとシリアで勢力を拡大してきました。
そして最近、トルコは中国に門戸を開き、投資を呼び込み、中国Sinovac社が製造したワクチンを調達し、中国政府のウイグル人への迫害を批判することを拒否しました。
これは一時的な変更ではなく、トルコの外交政策におけるより深い変化です。
エルドアン大統領の統治ほぼ20年の間に、トルコは欧米との連携や、EUへの加盟を追求したりすることに関心が薄れてきました。
代わりに、政府は国を地域の覇権国として再定義することに熱心です。
西側諸国は、同盟国であるトルコの歴史的役割について懐かしさを感じていますが、NATOのパートナーを深く疑っているトルコの指導者たちは、戦略的自治について語ります。
かつて世俗的なイスラム共和国のシンボルであったたトルコは、今日、西洋のルールに従ってプレーする事に疑問を投げかけています。
トルコは、何よりも、独立した大国になりたいと切望しています。
その新しい外交政策は、ロシアや中国側に付くのではなく、それぞれの陣営に足を踏み入れ、大国間の競争において存在感を発揮したいとの願望に基づくものです。
エルドアン政権はこのシフトを設計しましたが、トルコの政権が交代して、欧米との連携が再活性化されても、この流れを逆転させることはできないでしょう。
政治家、官僚、ジャーナリスト、学者らは、いずれも西側諸国との連携に明らかに懐疑的です。
独立したトルコの外交政策は継続されるでしょう。
過去数年の間に、第二次世界大戦後の国際政治環境が大きく変化しました。
しかし、振り返ってみると、トルコが大国間のバランスをとる行為には歴史的な前例があります。
19世紀後半のオスマン帝国とその後のトルコ共和国はどちらも、国を海外の潮流から隔離させ、より強力な国々を互いに戦わせようとしました。
オスマン帝国の衰退を食い止めるために、指導者たちは、第一次世界大戦でドイツと組むという過ちを犯す前に、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア、英国と時折連携して、絶えず変化する同盟のゲームに参加しました。
1920年代と1930年代に、誕生したばかりのトルコ共和国はモスクワの共産党政府から政治的および軍事的支援を受けました。
トルコは第二次世界大戦中中立を維持し、その指導者たちはナチスドイツとイギリスの間を行き来して、軍事援助、財政支援を両方から引き出しました。
エルドアン大統領は今日も同じ目標を持っています。それは、どちらかを選ぶことなく世界の大国と取引をすることです。
その戦略を実現するには、歴史的なリハビリが必要でした。
トルコは近隣諸国の中で特別であり、オスマン帝国の後継者として地域の指導的役割を取り戻す運命にあるという考えは、19世紀後半のドイツの「Sonderberg(別の道)」の概念に似ています。
トルコ共和国の創設者であるアタチュルクが1920年代に確立した世俗的な伝統は、オスマン帝国が後進的で非効率的であり、「現代文明」(muasırmedeniyetler)に追いつくことができないという確信に基づいていました。
エルドアン大統領のトルコはこれとは異なる思想を採用しています。
最近の彼の演説やテレビドラマは、オスマン帝国の指導者を洗練されていない征服者として非難するのではなく、新しい文明秩序の先駆者として称賛しています。
トルコの修正主義の歴史家は、オスマン帝国の時代を、「帝国主義」の西側列強によって妨害された、平和と正義の黄金時代と表現しています。
与党の公正発展党(AKP)は、外交政策を正当化する際にオスマン帝国の遺産を利用しています。
親政府メディアは、眠っている巨人の復活として、イラク、リビア、シリア、コーカサスなどの旧オスマン帝国へのトルコの軍事的活動の拡大を称賛します。
一方、エルドアン大統領は「世紀のリーダー」であり、憲法改正の呼びかけに抵抗し、西側と対立したアブデュルハミド2世という帝国末期のスルタンの現代版であると称賛されます。
トルコのメディアは、トランプ、メルケル、プーチンなどとの交渉を評価し、中東と東地中海で強硬姿勢を維持したエルドアン大統領を称賛します。
トルコの軍事力向上と中東からの米軍の撤退により、トルコの地域紛争への進出が容易になりました。
急成長している防衛産業は、イラク、リビア、シリアでトルコ軍を支援してきました。
トルコ製の武装ドローンは、昨年秋にナゴルノカラバフで行われたアルメニアに対するアゼルバイジャンの決定的な勝利を確実にするのに役立ちました。
トルコの軍産複合体の発展が、その指導者たちにこの地域で権力を投影する自信を与えたので、トランプの中東への関心の欠如とエルドアンとの個人的関係がトルコに機会を与えました。
トルコは、米国からの反発をあまり心配することなく、東地中海での海軍作戦を拡大し、カタールとソマリアに基地を建設しました。
代わりに、ロシアはエルドアン大統領が注意しなければならない存在です。
トルコの大統領はプーチンと緊密な関係を築き、海外への展開のたびにロシアとの調整と同意を得て行動しました。
しかし、この協力には限界があります。
ロシアは、リビア、シリア、コーカサスでトルコの影響範囲を制限し、トルコ政府を苛立たせました。
エルドアン大統領の真のスキルは、国際システムのギャップを利用し、ロシアと米国を互いに対立させることです。
たとえばシリアでは、トルコの存在は米国が支援するクルド軍にとって脅威でしたが、米国はトルコをロシアの侵略に対するテコとしても理解しています。
リビアでは、エルドアン大統領が切り口を見つけ、すぐに行動しました。
2019年、リビアの民兵指導者であるハフタル将軍は、ロシアとアラブ首長国連邦(UAE)の支援を受けて、リビア政府を攻撃する軍隊を率いました。
絶望的なリビア政府は援助を求めて西側諸国に支援を要請しましたが、ほとんどの西側諸国は、介入しませんでした。
しかしトルコは介入しました。
その軍隊は最小限の軍事投資でハフタル将軍の攻撃を食い止めるのを助けました。
これらの紛争に参加することにより、トルコは大国間の競争の時代に自らの場所を切り開いています。
トルコの目的は、「テーブルに席を確保すること」なのです。
エルドアン後
エルドアン大統領は、海外での戦力投射において、これまでのところうまくやってきました。
驚くべきことは、彼が自国経済が崩壊しかかっているにも拘らず、そうすることができたということです。
トルコは、2桁のインフレ、リラの価値の急激な下落、高い失業率など深刻な経済危機に直面しており、その結果、通常のトルコ人は資本逃避と貧困に陥っています。
数十年ぶりに、エコノミストは国際収支危機を心配しています。
この騒動はエルドアン大統領の支持基盤を弱めつつあります。
4月の世論調査では、与党AKPを支持すると答えた回答者は30%未満であり、これは2015年に与党AKPに投票した49%をはるかに下回ります。
他の多くの国の市民と同様に、トルコ人は自国が特別な存在である事を信じています。
世論調査は、トルコを世界の舞台で壮大な場所に戻すための一般的な支持を示しており、ほとんどの有権者はエルドアン大統領の西側、特に米国に対する疑念を共有しています。
しかし、最も極端な民族主義者を除くすべての人にとって、これは十分ではありません。
ほとんどの有権者は現実的です。
彼らは、外交面での孤立が彼らの経済的幸福と生活の質に打撃を与える場合、トルコが西側の同盟国と疎遠になることを望んでいません。
トルコ人がヨーロッパ人だと感じているからではなく、多くの人がヨーロッパとの統合がより強い経済とより良い統治を意味すると理解しているためです。
EU加盟への支持は依然として約60パーセントです。
政府がリビアに軍事基地を設立し、イラクでクルディスタン労働者党(PKK)の標的を爆撃する一方でトルコ国内では企業が倒産し、店舗が閉鎖され、年金が縮小しています。
国はこれまでのところ、海外の製造業者から十分な新型コロナワクチンを確保できていません。トルコ人の接種はわずか10パーセント足らずです。
要するに、ほとんどの市民は、エルドアン大統領のトルコを再び偉大な国すると言う野心的な目標の具現化を見ていません。
親政府メディアの執拗なナショナリズムにもかかわらず、エルドアン大統領が外交政策をあまりに強引に推進しているという国民の意識が高まっています。
トルコはあまりにも多くの友人を疎外したようです。
おそらく、オスマン帝国を滅亡させたのと同じ戦略的過ちを犯したのかも知れません。
ほとんどの西側のアナリストは、エルドアン大統領が無期限に権力を握っていると想定しています。
つまり、トルコでは民主的な政権移行はもはや不可能であると考えています。
これにほとんどのトルコ人は同意しません。
言論の自由の制限、多くのクルド人政治家の投獄、およびその他の形態の政府による弾圧は、政治コンテストの公平性を低下させますが、2023年に予定されている次の選挙でエルドアン大統領と与党AKPが勝利することを保証するものではありません。
その選挙でエルドアン大統領に対する挑戦者は、間違いなく、より融和的な外交政策と大国とのより安定した関係を追求することを約束するでしょう。
エルドアン後に生まれる政府は、前任者から距離を置くために具体的な措置を講じる可能性があります。
それは、NATOとの関係を修復し、エジプトやアラブ首長国連邦を含む地域のライバルとの関係を正常化させ、あるいはその努力が無駄であっても、トルコのEUとの加盟交渉を復活させる可能性があります。
現実主義者であるエルドアン大統領も、米国主導の秩序を復活させるというバイデン大統領のプロジェクトが有望であると考えれば、西側に戻ることを試みる可能性があります。
しかし、米国の権力が衰退すると見た場合、トルコはそれを世界政治におけるトルコの役割を拡大する機会としてとらえるでしょう。
そして、AKPであろうと野党であろうと、国のナショナリストの流れに逆らって、親欧米の立場を撮り続ける政治家を想像するのは難しいです。
長期的には、トルコの独立した外交政策は、現大統領の有無にかかわらず持続します。トルコ政府は、東地中海で主権を主張し続け、軍事開発に資源を注ぎ、地域問題に首を突っ込む可能性があります。
大西洋を横断する同盟の忠実なメンバーとして列に並ぶことは、かつてほどの魅力がなく、自分自身で力を投射する魅力には敵いません。
トルコは帝国の相続人の役割を主張して別の道を歩む事になるでしょう。
オスマン帝国が長続きした理由
上記論文に100%同意している訳ではありませんが、的を得た指摘も多々あると思います。
トルコは冷戦時代はロシアを中心とする共産圏諸国に対する自由陣営の砦としての役割がありました。
しかし冷戦が終結した今、ハンチントンの指摘する様に、トルコは自国のアイデンティティに目覚め、欧米と距離を置き、我が道を行く可能性は高いと思われます。
トルコの人たちは自国の歴史に強い誇りを持っています。
それは当然です。
広大な版図を持つオスマン帝国は400年を超える期間、平和で安定した時代を築きました。
これに対比できるのは歴史上、ローマ帝国と漢帝国位しかないと思います。
当時、オスマン帝国には様々な民族、宗教、言語が混在していました。
しかし、今でいうダイバーシティが帝国の基本原理だったと思われ、宗教の自由は保障されていました。
パレスチナの紛争に代表される様な中東の混乱の種は、第一次世界大戦前後の欧州列強によって蒔かれたと見るのが順当かと思います。
サイクスピコ条約に代表される英仏の帝国主義が中東に大きな災厄をもたらしたと言えるでしょう。
その観点から言えば、オスマン帝国流のやり方を目指すトルコが地域大国として、旧オスマン帝国領内の各国で一定の支持を得ているのは納得がいきます。
しかし、トルコに気をつけて欲しい点は、間違ってもイスラム至上主義にならない事です。
オスマン帝国が長続きした一番大きな理由は、他宗教への寛容性だと思います。
この伝統をトルコは維持し、地域の他国にも広めてもらいたいところです。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。