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どうでもいい仕事に関する論文がどうでもいい理由

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社会学者デヴィッド・グレーバーの理論

英誌Economistをネット上で眺めている時に、最も読まれている記事ランキングに目が止まりました。

そのトップにランキングされていた記事の題名は「Why the bullshit-jobs thesis may be, well, bullshit - David Graeber’s theory isn’t borne out by the evidence」(どうでもいい仕事に関する論文がどうでもいい理由 - デヴィッド・グレーバーの理論は証拠に裏付けられていない)でした。

タイトルに惹きつけられて読んだのですが、ちょっと面白いのでご紹介したいと思います。

Economist記事要約

ほとんどの人は、自分の仕事が無意味だと感じることがあります。

人類学者の故デヴィッド・グレーバーは、この洞察から精巧な論文を作成しました。

彼は 2018 年の著書の中で、大学の教育ローンを返済するためにお金を必要とする大卒労働者の時間を埋めるために、社会が意図的に金融サービスなど「どうでもいい仕事」を生み出していると主張しました。

Google Scholar によると、彼の論文は学者によって 800 回以上引用されており、メディアでも頻繁に取り上げられています。

 

この本が出版された時、それがC.ノースコート・パーキンソンの洞察の部分的な作り直しであると考え、筆者は感心しませんでした。

そしてマグダレーナ・ソフィア、アレックス・ウッド、ブレンダン・バーチェルの3人の学者が、グレイバー氏の研究の体系的な分析を行い、データが彼の予測とは正反対の結果を示すことが多いことを発見しました。

言い換えれば、どうでもいい仕事に関する論文は、ほとんどどうでも良かったのです。

 

グレーバー氏は著書は、英国とオランダの労働者を対象にした調査に大きく依存しており、参加者に自分の仕事が世界に有意義な貢献をしているかどうかを尋ねています。

これはクリアしなければならない高いハードルのようです。

回答者の 37 ~ 40% が自分の仕事にそれほどの意義はないと答えた事は驚くことではありません。

これとは対照的に、学者たちは、2015 年までに 35 か国で 44,000 人の労働者に質問した欧州労働条件調査を使用しました。

彼らは役に立ったと感じる事が「めったにない」または「まったくない」と思う回答者に焦点を当てました。

グレーバー氏の論文ではどうでもいい仕事の割合が高いのとは対照的に、2015年にEUの回答者のうち、自分の仕事が役に立たないと感じたのはわずか4.8%でした。

そして、この割合は、2010 年の 5.5% と 2005 年の 7.8% から、ここ数年は低下し、上昇はしていません。

 

さらに、事務や管理の仕事に従事する人は、グレバー氏がごみ収集や掃除など不可欠と見なした役割に雇用されている人に比べて、自分の仕事を役に立たないと考える可能性がはるかに低いのです。

実際、研究者たちは、教育と有用性との間には逆の関係があることを発見しました。

低学歴の労働者は、自分の仕事が役に立たないと感じる傾向が強かったのです。

また、学生時代の教育ローンは要因ではないようです。

その比率がヨーロッパで最も高い英国でも、29歳未満の大学教育を受けていない人は、借金のある大学院生の2倍、役に立たないと感じる可能性が高いのです。

 

では、実際に何が起こっているのでしょうか。

確かに、問題の一部は、グレーバー氏のような学者が金融や他の資本主義の職業で働く人々に対して感じている偏見であり、そのような人々が介護サービスや肉体労働で働く人々よりもはるかに多く稼いでいることに憤慨している事が挙げられます。

公平を期すために筆者は、学者やジャーナリズムのような仕事も資本家が生み出す富で生計を立てていると信じている全く逆の偏見を持つ金融家やビジネスマンにも会ってきました。

もう 1 つの要因は、自分が就いている職業の文化を信じようとする人間の傾向です。

射撃ライフルやホメオパシー薬(注:同毒療法と訳されますが、人間に害のある物を希釈して与える事で病気を治すという療法)を販売する人々は、最終的には良い仕事をしていると信じるようになります。

 

しかし、グレーバー氏の論文の一部は正しいことが判明しました。

自分の仕事が無駄だと思っている従業員は、不安や落ち込みを感じがちです。

学者たちは、その理由はマルクス主義の「疎外」の考えに関連していると示唆しています。

19世紀に職人が自分自身のために働くのをやめ、工場に引きずり込まれた時に感じた事と説明されます。

 

「疎外」は、労働者がマネージャーにどのように扱われるかにかかっています。

マネージャーが労働者に敬意を払い、協力的で、その意見に耳を傾け、参加する機会があり、自分のアイデアを活用し、良い仕事をする時間があれば、労働者は自分の仕事が役に立たないと感じる可能性は低くなります。

労働者は、自分のスキルを使用したり、自律性を発揮したりする機会がないと、役に立たないと感じやすくなります。

この問題は、大卒者よりも低賃金の仕事に就いている人々を悩ませることが多いのです。

 

要するに、これは「人は仕事が悪いから辞めるのではなく、悪いマネージャーから離れる」という古い格言の言い換えです。

従業員の 5% 未満しか自分の努力が無駄だと感じていないという事は、裏を返せばマネージャーへの褒め言葉です。

なぜ人々が自分の仕事を退屈にしたり、やる気をなくしたりすることがあるのか​​を説明するために、社会が大卒者のために無用な職業をでっち上げているなどという陰謀を想像する必要はありません。 

格言の重み

「人は仕事が悪いから辞めるのではなく、悪いマネージャーから離れる」という格言なるほどと思わされます。

過去を振り返って、部下に十分な配慮を行なってきたかと問われれば、全く自信がありません。

マネージャーの部下への配慮という意味で、興味深かったのは日米の少年野球の指導法の違いでした。

子供が日本人と米国人のコーチの下でそれぞれプレーする機会があったのですが、日米のコーチは180度教え方が違っていました。

日本のコーチは少年野球の頃から勝利至上主義で、コーチは四番バッターにもバントをさせますし、エラーでもしよう物なら次の試合でお前は試合に出さないぞと説教します。

それに対して米国人のコーチは徹底的に褒めて育てるやり方でした。

見逃し三振は日本では厳罰ものですが、米国コーチは「Good Eye」などと言ってニコニコして迎えます。

この辺り本当に文化の違いを感じました。

人間叱られて育つ人も、褒めて育つ人といると思いますが、やはり上に立つ人が温かい目で自分を見ていると思えば、やる気がでるのだと思います。

そういう意味で、この格言の重さを改めてかみしめました。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。