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コンピューターシミュレーションが示す独ソ戦争における独軍の敗因

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最重要戦線はどこか

第二次世界大戦において最も重要な戦場はどこだったかと問われると、映画「史上最大の作戦」で有名なノルマンジー上陸作戦を中心とした欧州の西部戦線を挙げる方も多いと思われますが、正解は東部戦線即ちドイツとソ連の戦いです。

死者や投入された物量からもそれは明らかです。

実は、米国は欧州への参戦を渋りました。

英チャーチル首相の再々の要請にもかかわらず、ルーズベルト大統領は高みの見物を決め込んだのです。

米国の戦略は簡単に言えば、同盟国である英国などに強敵ヒトラーとヘトヘトになるまで戦わせた後に参戦し、自軍の消耗を抑えると共に、最後の美味しいところを総取りにしようというものだったと思います。

同盟国の衰弱までも計算に入れたこの冷徹な戦略は見事に成功し、米国は戦後の世界で覇権を握り、世界一の強国の地位を英国から奪い取る事に成功しました。

英国は第二次世界大戦後インドを始め、多くの植民地を失い、スーパーパワーの座から滑り落ちました。

しかし、米国が簡単に欧州戦線に参加しなかった理由の一つは、ヒトラードイツの軍事力を恐れた事もあったでしょう。

ドイツは、電光石火の勢いでフランスや東欧を占領し、当時世界一の軍事大国と言われました。

しかしドイツはソ連との戦いに敗れ、そのあとは坂道を転がり落ちる様に敗戦へ突き進みました。

何故ヒトラーはスターリンに敗れたのでしょうか。

この点に関して米誌Foreign Policyが「Panzers, Beans, and Bullets」(パンサー(ドイツの戦車名)、豆、弾丸)と題した論文を掲載しました。

かいつまんでご紹介したいと思います。

Foreign Policy論文要約

ナチスドイツがソビエト連邦に侵攻した1941年6月の運命的な日曜日から80年経った今でも、疑問はまだたくさんあります。

ロシアはどのようにして大惨事を勝利に変え、ソビエト連邦を次の50年間超大国にしたのでしょうか。

ロシアの勝利が、その後、私たちの住む世界を変えたことは間違いありません。

東ヨーロッパは再編成されました。

プーチン大統領にとって、大祖国戦争を称賛することは、2700万人の亡くなったソビエト兵と民間人を弔うだけでなく、政治的生命線でもあります。

しかし、1941年6月22日に300万人以上のドイツ軍とドイツ連合軍が国境を越えてロシアに侵入した時、多くの人がバルバロッサ作戦が成功すると予想しました。

「ボルシェビズムは崩壊するだろう」とナチスの宣伝大臣ゲッベルスは予測しました。

恥ずかしい事に多数の英米の専門家がこれに同意しました。

キエフでの65万人のソビエト兵士の投降はこの意見を補強するだけでした。

しかし、1945年5月にベルリンの国会議事堂に翻った赤い旗は、専門家が間違っていることを証明しました。

そして、新しいコンピューターゲームがその理由を説明するのに役立ちます。

 

MatrixGames社によるコンピューターゲーム「War in the East 2」は膨大なデータを人工知能が処理するゲームです。

45,000のグリッドに分割されたデジタルマップ全体で、ドイツとソビエトのプレイヤー6,000以上の師団、旅団、航空機飛行隊が制御されます。

このゲームは操作可能な戦車やトラックの数から、個々の将軍の戦闘と管理能力、十分な原材料が武器工場に届いているかどうかまで、すべてを追跡します。

このゲームにより東部戦線の詳細なシミュレーションが可能であると言っても過言ではありません。

ナチスの機甲師団はわずか6週間でフランスを征服したのに、どうしてロシアを打ち負かすことができなかったのでしょうか。

このゲームはドイツの計画の致命的な欠陥を明らかにします。

彼らは自分たちが優越していると傲慢であり、意志力が物質的な弱さを補うことができるというナチスの信念を信じ込んでいました。

ヒトラーと彼の最高司令部は供給が問題になるとは予想していませんでした。

 

しかし、クレフェルドのような歴史家が説明するように、「アマチュアは戦術を研究しますが、専門家はロジスティクスを研究します」

贅沢に装備された米国と比較して第二次世界大戦の軍隊、ドイツ軍とソビエト軍は兵站上の悪夢に直面しました。

アメリカとイギリスは物資を運ぶためにデトロイト製のトラックをたくさん持っていましたが、ドイツとソビエトは常に車が不足していて、彼らが持っていた車両はロシアの荒れた道路ですぐに立ち往生しました。

ドイツとロシアの歩兵は、砲兵と物資を運ぶために馬に依存していました。

彼らにとって、第二次世界大戦はナポレオンの不幸なロシア侵攻からほとんど変わりませんでした。

違いがあるとすれば東部戦線には鉄道があった事です。。

しかし、それでも兵站は困難でした。

ロシアの線路はまばらで、ヨーロッパの線路よりも幅が広いため、ドイツ人はそれらを再敷設し、ロシアの焦土作戦による車両基地の損傷を修復する必要がありました。

このゲームは、トン単位で供給を追跡する詳細なロジスティックモデルを備えています。

燃料、弾薬、食料は線路に沿って倉庫に運ばれ、そこからトラックと馬車で配送されます。

しかし、鉄道の容量には限りがあります。

線路の容量が過負荷になると、線路の色がマップ上で変化します。

トラックの負担が増加しますが、その数は十分ではありません。

そして、ロシアの森林や沼地を通過するトラックが多ければ多いほど、故障するトラックも多くなります。 

これは、ガソリンが命であるすべての機械化ユニットにとって壊滅的でした。

ガソリンががなければ、戦車は大胆な作戦を行うことができません。

 

ドイツ人は東プロイセン、ポーランド、ルーマニアの基地から攻撃を開始したため、戦争の開始時には兵站は問題になりませんでした。

ドイツ中央軍がモスクワを目指して侵攻する一方、北方軍集団はレニングラードに接近し、南方軍集団はキエフに向かいました。

すぐに、機甲師団の先頭がロシアのスモレンスクに到着しました。

これは、モスクワへの入り口にあたる重要拠点です。

この時点でドイツ軍は、兵站の問題に直面していました。

最も近い鉄道は数百マイル離れており、前線に広がる300万人の兵士を支えながら、戦車に供給するために必要なトラックはありませんでした。
そしてドイツ軍の一時停止は、赤軍にとっての反撃のチャンスを生みます。

ソビエト軍は彼らの補給基地の近くで活動しており、あらゆる森、沼、都市、そして川を利用することができました。

1941年の大吹雪が氷点下40度の極寒を提供するまで、10月の雨は侵入者を動けなくしました。

 

歴史家にとって、バルバロッサ作戦の仮定は常に魅力的でした。

最大の質問:もし彼らがソビエトの首都攻略にすべての力を集中させたならば、ドイツ人はモスクワを占領することができたでしょうか?

ゲームにおける結論は、この戦略が惨めな失敗に終わる事を示唆しています。

モスクワ集中攻撃のための鉄道とトラック輸送の能力はありませんでした。

 

戦後の西側の見方は、「ヒトラーが私に耳を傾けていればロシアを征服できたはずだ」と主張したドイツの将軍による自己肯定的な説明によって影響されました。

実際、ドイツの侵略計画は、まさにその同じ将軍によって考案されました。

バルバロッサ作戦は、ゲームが示す様に、兵站に関する非現実的な仮定と、「ユダヤ・ボリシェビキ ソビエト国家は一撃で崩壊する」という反ユダヤ主義の信念によって歪められた、よく練られていない計画でした。

 

ソビエト連邦を救ったのはロジスティクスだけだったと示唆するのは間違っているでしょう。

ソビエト兵士は勇敢に、死を恐れず戦いました。

しかし、ゲームが示すように、1941年にヒトラーの侵略を止めたのはソビエトの勇気と自己犠牲だけではありませんでした。

ソビエトは出来の悪いドイツ軍の作戦の恩恵を受け、時間、空間、地形、気候など伝統的なロシアの利点を利用することができました。

 

最終的に、バルバロッサ作戦は第三帝国の終焉の始まりでした。

このコンピューターゲームが示すように、ここでヒトラーの壮大な侵略計画はエネルギーを使い果たしました。

スターリンに軍事援助を行なっていたルーズベルト

ソ連のこの戦争における犠牲者が2,700万人というのは驚きですね。

日本は第二次世界大戦における犠牲者の数は軍人、民間人合わせて310万人と言われていますから、まさに桁違いです。

 

ドイツ軍を敗戦に追い込んだのは、この論文が指摘する様にロジスティックを軽視したドイツ軍の出来の悪い作戦だったと思います。

この点、日本軍がガダルカナル島やインパール作戦で見せた失敗と類似性を感じてしまいます。

しかし、理知的なドイツ軍将校がロジスティックをそこまで軽視したとは思いません。

東部戦線の勝敗を分けたのは、高みの見物を決めた筈の米国のソ連への物資的な援助が一因と思われます。

当時の米ルーズベルト大統領は「われわれは民主主義の兵器廠とならなければならない」との談話を発表し、1941年3月には、大統領の権限で他国に武器や軍需品を売却、譲渡、貸与することができる武器貸与法を成立させました。

これによって英国や中国国民政府、ソ連に軍事援助を行いました。

米国があのスターリンが率いるソ連に軍事援助していたとは信じがたいですが、事実です

実際、ソ連が盛り返したのは、米国が供与したデトロイト製のトラックがソ連軍に弾薬や食料を運んだことが大きな要因だと言われています。

ルーズベルト大統領にスターリンはうまく取り入ったと伝えられていますが、さすがなかなかの策士ですね。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。