首都陥落の衝撃
驚くべきスピードでタリバンは進撃し、既に一部のメディアでは首都が陥落したと報道されています。
兵員数や装備の上では政府軍がタリバンを凌駕していましたが、戦意を失った政府軍はあっけなく崩れていった様です。
何故この様な事態が生じたのか、今回のタリバンの勝利は国際政治の上でどの様な意味を持つのか海外の多くのメディアが分析を行っていますが、今日は仏紙Les Echosの「La victoire des talibans, un tournant dans l'ordre mondial」(世界秩序のターニングポイントであるタリバンの勝利)と題した記事を掲載しました。
かいつまんでご紹介したいと思います。
Les Echos記事要約
タリバンの電撃的な攻撃とアフガニスタン軍の敗走を見る時、私たちは " 何が悪かったのか?”と自問します。
最前線のアメリカ人はもちろん、私たちNATOも、これほど完膚なきまでに、迅速に失敗した事があったでしょうか。
非常に多くの命が犠牲になり、戦うことを拒否する軍隊や崩壊する政権を再建するために多くのお金が費やされました。
そして事実上無条件の撤退がなされました。
西側の軍隊は、カブール空港を管理して、まだアフガニスタンにいる仲間の市民の出国を確実にするという唯一の使命を持って送り返されました。
「帝国の墓場」として知られている国アフガニスタンと本質的に「気まぐれ」の国であるアメリカの協力関係は、このような壊滅的なシナリオにつながるだけだったとの主張があります。
したがって、驚きは失敗ではなく、その崩壊の速さです。
少なくとも3倍の数を誇り、高品質の軍事装備を備えているアフガニスタン当局にとって戦局は有利であるように当初思われました。
しかし、この種の状況で重要なのは、政治的意志です。
アフガニスタン人は、タリバンとは異なり、西側がアフガニスタンに留まる意思が無い事を知っていました。
アフガニスタン軍は、政治指導者やカリスマ的な武将によって率いられていませんでした。
国の分裂、その政治エリートの腐敗と非効率性は、最終的にアフガニスタン社会の近代派を国から追放する事になりました。
真実を受け入れるのは難しいかもしれません。
農村地域では、タリバンの急速な進軍は脅威とは見なされていませんでした。
実際、大多数の農民はタリバンの勝利で内戦が早く集結すると期待していたかもしれません。
西側の軍隊による爆撃によって引き起こされた巻き添え被害は、人口の大部分を疎開させました。
アメリカ人にとって2001年9月11日が辛い思い出であろうと、アフガニスタン人にとって1995年から2001年までのタリバンの残忍な統治の思い出であろうと、人々の記憶は短いものです。
西洋人は本質的に気まぐれです。
視聴者が番組を変更すると、優先順位が変わります。
新型コロナ、地球温暖化、中国の台頭の時代に、アフガニスタンの存在は、大多数のアメリカ市民には時代錯誤として認識されています。
トランプの足跡をたどるバイデンは、人々の気まぐれに応えようとしています。
タリバンがカブールに戻ったからといって、必ずしも混乱やテロリストの聖域の再構築を意味するわけではありません。
しかし、アフガニスタンの内戦は、西側が対立しようとした不明瞭主義の陣営の勝利で終わります。
確かに、タリバンの主張は曖昧です。
すべての人(女性を含む)の教育を強調するドーハのタリバン交渉担当者と現場の武将の間には、違いがあります。
そして、彼らが文字通りの意味でシャリーア法(厳格なイスラム法)の適用について話すとき、その懸念は高まります。
この点、アフガニスタンの隣人たちも心配しています。
インドは、そのような主張がインドのイスラム原理主義者だけでなく、パキスタンを勢いづけるのではと疑問に思います。
イランもトルコも中国も、アフガニスタンの女性の窮状を気にかけていません。
アフガン人が自国で厳格なシャリーア法を課していることと、アルカイダに関連して過激な原理主義の輸出を促進することは別のことです。
中国人は数ヶ月間、タリバンと直接交渉してきました。 彼らはタリバンに次の様に伝えているでしょう。
「あなたは自国でやりたいことは何でもやって良いですが、中国のウイグル人、そして世界のイスラム原理主義者を支持してはいけません。アメリカの弱さと優柔不断さを暴露することによって、あなたは私たちに役立っています。しかし、米国を不安定化させる事と世界中に混乱を広める事は同じではありません。」
現在ドーハで交渉中のカブールへの権力移譲は、アフガニスタンの歴史のターニングポイントであるだけではありません。
それはおそらく1956年のスエズ危機以来最も深刻な西洋の後退です。
それは私たちが9月11日の20周年とアラブの春の始まりからわずか10年を記念する準備をしているときに起こりました。
サイゴン陥落後の1975年に、ブレジネフのソ連も毛沢東の中国もアメリカの屈辱を十分に活用できませんでしたが、習近平の中国はそうではありません。
米国の矛盾を強調するために、北京がそのカードを利用するのは簡単でしょう。
「あなたは今日アフガニスタンの女性を捨て、明日台湾を守ると主張するのですか?」
「シャリーアは結構、アルカイダは駄目です」とタリバンに要求する中国はすでにイスラム教徒のテロに対する私たちの最初の防衛線としての地位を示しているののかもしれません。
米国の限界
フランス人らしい辛辣な記事ですが、かなり鋭く真実を突いていると思います。
今回のアフガニスタンでの出来事はベトナム戦争敗北以来の米国及び西側の敗北として長く記憶される事でしょう。
しかし、ベトナムとアフガニスタンの間には大きな違いがあります。
アフガニスタンでは米国はお金は使いましたが、戦死者は多くありません。
大きなダメージを受ける前に撤退したと言えるでしょう。
この決断が吉と出るか凶とでるかわかりません。
米国の同盟国の中には、アフガニスタンを守らなかった米国に失望を感じる国も出るでしょう。
しかし、米国が圧倒的にナンバーワンであった時代は終わりました。
全ての同盟国を守る事は到底不可能です。
今後は自分の国を守る意思がある国だけを米国は選択していくでしょう。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。