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米国よりはるかに目標達成度が高いロシアの中東政策

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米露の大きな違い

中国の台頭で多少色褪せたとは言え、ロシアは未だに西側諸国にとっては悪役であり、安全保障面では大きな脅威として語られます。

しかし、こと中東に関して言えば、米国がこの地域で行ってきた政策が本当に正しかったのかは大きな疑問があります。

最近撤退したアフガニスタンもそうですが、イラクやリビアなどでも米国は掻き回すだけ掻き回して、最後は混乱しか残していないとの批判があります。

その一方で、ロシアは振り返ってみるとシリアの例に見られる通り、首尾一貫してイスラム国など過激派の活動を抑え込んできています。

米誌Foreign Policyが「Russia Is Right on the Middle East - Moscow has been supporting, not undermining, U.S. interests in the region.」(真っ当なロシアの中東政策 - 中東ではロシアは米国の利益を損なうどころか支援してきた)と題する論文を掲載しました。

かいつまんでご紹介したいと思います。

Foreign Policy論文要約

ロシアが「修正主義者」であり、現状を破壊し、「規則に基づく秩序」に挑戦する勢力であるとの説が欧米ではしばしば語られます。

これは旧ソ連の地域では、真実味があります。

しかし、広い意味での中東では、これは現実と一致しません。

この地域では、過去20年間、現状を破壊したのは米国であり、重要な問題に関する米国の政策に対するロシアの反対は、振り返ってみると、客観的に正しいことが証明されています。

 

もちろん、ロシアの政策はロシアの利益に役立つように設計されました。

それでも、彼らが西洋の利益にも則していることが判明したという事実は、単に偶然ではありませんでした。

これらのロシアの政策は、外交政策と安全保障機関による分析に基づいており、米国の多くの機関の政策にも非常に近いものです。

 

根底にあるロシアの分析は、反民主主義と呼ばれるかもしれないですが、急速な革命的​​変化に対する深い懐疑論と相まって、国家の脆弱性と混沌と内戦の恐れに特徴付けられます。

この姿勢は、20世紀のロシア自身のひどい経験にそのルーツがあります。

プーチン大統領は、2003年10月にニューヨークタイムズ紙に米国のイラク侵攻の結果について次のように述べています。「レジームが解体された場合、他のシナリオを想像できるのでしょうか?もちろん、国家が破壊されれば、それ以外の展開はありえません。」

 

プーチンは、このイラク国家の破壊を、先見の明を持って、イスラム過激派の大幅な増加に結び付けました。

彼はこう語っています。

「サダム・フセインの政権はリベラルな政権ではありませんでした…しかし、それは原理主義者と闘いました。 …今、サダムはもう存在しません。イラクの領土に、さまざまなテロ組織が侵入するのを目撃しています。」

イラクで何が起こったかを考えると、プーチンがイラクへの侵略に反対したのは間違っていたと言うことができるでしょうか?

もし2002年から2003年にロシアの助言を受け入れていたら、結果はかなりマシだったのではないでしょうか。

 

ソ連時代の経験により、ロシア人は、1つの普遍的なイデオロギーに従って他の社会を変革しようとするプロジェクトに深く懐疑的になりました。

これは、ソビエト共産主義が世界中でやろうとしたことであり、それはロシアにとってとてつもなく高くつきました。

したがって、ロシア人は(正しく)アフガニスタンでの米国の取り組みが、1980年代のソ連の政策に類似しており、同様に失敗するだろうと予測していました。

 

そして、プーチン大統領は2019年にフィナンシャルタイムズで、リビアのカダフィ政権の西側による転覆の結果についても、次の様に語っています

「私たちの西側のパートナーは、リビアのような地域が欧米と同じ民主主義の基準を持つことを期待しているのでしょうか? [中東および北アフリカ]地域には、リビアと同様のシステムを持つ国しかありません。 …北アフリカの住民に、フランスまたはスイスの民主的基準を課すことは不可能です。 …これはすべて、紛争と部族間の不和につながります。実際、リビアでは戦争が続いています。」

繰り返しになりますが、カダフィの転覆の結果はプーチンが間違っていた事を証明したでしょうか?

彼の予想通り、内戦は今日まで続いており、リビア国家の崩壊により、EUを不安定にする地中海全域での難民の大量移動が発生しています。

中東での米露の意見の不一致は、2011年のアラブの春エジプト、シリア、リビアでの暴動で明らかとなりました。

これらの蜂起がイスラム過激派勢力を勝利に導き、第二次チェチェン戦争の時の様に、ロシア国内でのテロにつながるというのがロシアの恐れでした。

シリアのイスラム国に対するロシアとヨーロッパ諸国の共通の恐怖は、イスラム教徒のヨーロッパとロシアの市民が多数シリアの内戦に参加し、その後帰国する事でした。

プーチンはシリア内戦へのロシアの介入に関して次の様に述べています。

「私は、ロシアのシリア問題への積極的な関与が、国際テロ組織がこれまで以上に強くなる事を避けるために、非干渉よりもはるかに有益であると判断しました。 …私たちは何があってもシリアの国家を維持し、リビアスタイルの混乱を防ごうとしています。」

 

更に、イランとの核協定合意においてもロシアは重要な役割を果たしました。

ロシアは長い間、核問題に関してイランとの米国の妥協を提唱していました。 

興味深いことに、核合意とシリアでのロシアとイランとのパートナーシップは、ロシアとイスラエルとの緊密な関係を破壊していません。

イスラエル政府はシリアにおけるイランの役割を大いに警戒していますが、シリア国家の崩壊を深く恐れており、ロシアとイランの条件付きの協力を容認していました。

 

バイデン政権は、特定の問題でロシアと対峙する一方で、米国とロシアの利益が一致するものについてはロシアと協力したいと述べました。

過去20年間の中東の歴史は、少なくともこの分野では、協力の強力な基盤が存在することを示唆しています。

しかし、そのような協力を発展させるためには、米国の政策立案者は、過去にロシアが正しく、アメリカが間違っていた事が少なくない事を認める必要があります。

米国は中東政策を修正できるか

上記論文の指摘する通り、客観的に見れば、米国の中東政策は失敗続きだと言えます。

大量破壊兵器があるとの口実でイラク戦争を始めましたが、結局その痕跡も見つける事が出来ず、残ったのはサダム フセイン亡き後の国家崩壊でした。

そこではイスラム国などのテロ組織が跳梁跋扈し、国の安定は失われました。

アフガニスタンでもシリアでもリビアでも米国は事態を好転させるどころか混乱を招いただけでした。

それに引き換え、プーチンの中東政策は徹底した現実主義に基づき、イスラム過激派をある程度抑え込むのに成功しています。

私はロシアの肩を持つわけではありませんが、アフガン戦争での悲惨な敗北やその後のチェチェン過激派との闘いを通じてロシア政府は学習し、一定の効果を上げた事に米国は学ぶところがあると思います。

それにしても、この地域で今後米国はどの様に外交政策を修正するのでしょうか。

自由や民主主義といった西洋の価値基準を押し付けようとして失敗した今、米国は何を拠り所として中東政策を進めていくのでしょうか。

腐敗していても尻尾をふってくれる政権を支援して失敗した南ベトナムと同じ様なパターンに米国が再び陥るのではと心配になります。

 

最後まで読んで頂き、有難うございました。