レストラン史に残るパンデミック
昨年から今年にかけて、飲食業界にとっては最悪の時期だったと思います。
世界中のレストランはコロナの新しい波が押し寄せるたびに、閉店を余儀なくされました。
パリは美食の都として知られますが、多くのシェフや給仕人はレイオフを余儀なくされ、その一部はレストラン業界から去っていきました。
経済が再開されるにつれて、遠ざかっていた客足は戻りつつある様ですが、今後の見通しはどうなるのでしょうか。
英誌Economistが、過去のレストランの歴史を振り返りながら、コロナ後のレストランのあり方について記事を掲載しました。「AN ECONOMIC HISTORY OF RESTAURANTS - And how the pandemic may change them」(レストランの経済史 - パンデミックが与える影響)と題された記事かいつまんでご紹介したいと思います。
Economist記事要約
2021年4月9日は、レストラン業界にとって最も暗い日でした。
ロックダウンの強制は、レストランの予約を激減させました。
一方、 経済が解き放たれるにつれて、多くのレストランが、現在、労働力不足に直面しています。
ロンドンで最もおしゃれなフレンチレストランの1つであるLe Gavrocheは、ランチサービスを停止する必要があり、総支配人を失いました。
2010年から10年の間に英国の認可レストランの数は26%増加しました。
アメリカ人は初めて、食事に使うお金の半分以上を外食に費やしました。
香港やロサンゼルスの高給とりは、キッチンのないアパートを喜んで借りていました。
近くでおいしい料理が手に入るのに、なぜわざわざ料理をするのでしょうか。
新型コロナはこの流れを大きく変えました。
レストランを奪われたことで、人々はレストランがどれだけ重要であるかを実感するようになりました。
外食は人間の基本と思われるニーズを満たします。
人々はそこでデートし、取引を行い、仲間と語り合う事ができます。
良いレストランでは、旅行せずに旅行した気分に浸る事もできます。
しかし、現在の形のレストランはせいぜい数百年前のものです。
政治改革から都市化、労働市場の変化が、レストランの供給と需要を生み出してきました。
その歴史はまた、パンデミック後の世界でその将来がどうなるかを暗示します。
人々は長い間、家の外で食事をしてきました。
考古学者は、西暦79年の火山噴火によって破壊された都市ポンペイで158のスナックバーを発掘しました。
これは、60〜100人に1店で、今日の多くの世界の都市よりも高い比率です。
ロンドン市民は、少なくとも1170年代から、調理済みの肉、狩猟肉、魚を食べることができました。
初期の開拓者であるサミュエル・コールは、1634年にボストンに最初のアメリカの居酒屋をオープンしました。
しかしこれらは、レストランというよりは、テイクアウトの様なものでした。
コールの頃にフランスで登場した定食屋は、近代のレストランに近い存在でした。
顧客は1つしかない大きなテーブルを共有し、与えられたものを食べていました(現在、このトレンドは復活しています)。
外食が始まったばかりの時代のレストランは、地元の人々のために存在する食堂であり、半ば慈善事業の様なもので、見知らぬ人は必ずしも歓迎されませんでした。
しかし外食は当時、ステータスの低い活動でした。
今日、外食は贅沢と見なされていますが、人類の歴史のほとんどで、最も安価な食事方法でした。
17世期、裕福な人々は自宅で食事をすることを好み、料理と片付けをするスタッフがいるという贅沢を楽しんでいました。
しかし、時が経つにつれて、富裕層が公の場で食事をするというスタイルが徐々に定着しました。
ロンドンのフィッシュレストラン、ウィルトンズは1742年に開店しました。
ニューヨーク市で最も古いレストランであるフランシス タバーンは、おそらく1762年にオープンしました。
そしてフランスの詩人ボードレールが観察したように、19世紀の都市は人々が消費を誇示する場所になりました。
他人に見られるのにレストランより良いところはありません。
そこは、人々が必要以上の多くの食べ物を注文する事で、富を誇示できる場所になりました。
20世紀にはレストランの成長が加速しました。
フードサービスにおけるアメリカの雇用は、この期間に労働力のシェアとして4倍になりました。
ミシュランガイドは1900年に最初に発行されました。
星による格付けは26年後に始まりました。
フードプロセッサーや食器洗い機などの電化製品の導入により、外食は比較的高価になりました。
1930年のアメリカでは、レストランでの食事は自宅での同等の食事よりも25%しか高くありませんが、2014年までにその差は280%に拡大しました。
コストが上昇したにもかかわらず、次の三つの経済的要因によりレストランの需要が確実に増加しました。
一つ目は移民です。
第二次世界大戦後の50年間で、人口に比べて、豊かな国への移民の純流入は4倍以上になりました。
レストランを始める事は、移民にとって合理性があります。
正式な資格も、少なくともシェフにとっては現地の言語に堪能である必要もありません。
移民は地域のレストランの質を向上させる傾向があります。
ロンドンは、EUとの自由な移動の時代にはるかに良くなりました。
移民が殺到するシンガポールには、世界で最高の食べ物がいくつかあります。
価格が上がったとしても、レストランはずっと魅力的になりました。
2番目の要因は、家庭におけるミクロ経済学の変化でした。
家庭での食事の本当のコストは、材料の出費だけでなく、買い物や準備に費やされる時間も含みます。
女性の労働力参加が少ない時代には、この隠れたコストは低かったのですが、20世紀に多くの女性が労働力に加わると、この方程式は変化し、隠れたコストが上昇しました。
今、夕食を作る女性は、お金を稼ぐために使う事ができたかもしれない時間を犠牲にします。
そのため、外食は、より高価になったとしても、経済的に意味が増しました。
3番目の要因は労働パターンの変化でした。
歴史的に貧しい人々は裕福な人々よりも長時間働く傾向がありました。
しかし、20世紀の後半には、それは逆転しました。
知識集約型の仕事の台頭とグローバリゼーションにより、金持ちの仕事は経済的にやりがいが増し、深夜労働はステータスシンボルになりました。
結果として、彼らの余暇も少なくなったため、ますます外食を必要とする様になりました。
レストランの将来見通しは明らかではありません。
パンデミックにより、多くの人が以前よりも多くのテイクアウトを購入するようになりました(Uberの配達による収益は、人々の移動から得られる収益を上回っています)。
レストランは状況の変化に適応し続ける以外に選択肢はありません。
それは、彼らが最も得意とする事を強化することを意味します。
つまり、ロマンス、食の魅力や華やかさを人々に提供することです。
国際都市の条件
都市の魅力にレストランの良し悪しは大きな影響を与えます。
国際ビジネスマンは食事がまずい街に喜んで行こうとしません。
住むとなると尚更このクライテリアは重要になってきます。
ロンドンは昔、食事がまずい事で有名でした。
確かにイギリス料理はどれも美味しいとは言えません。
しかし、ロンドンは国際都市であり、多くの外国人移民が住んでいます。
従い英国料理さえ避ければ、世界で最高級の料理が食べられます。
特にEUに加盟していた頃は、フランスやイタリアのシェフがビザなしでロンドンで働けましたので、金の集まるロンドンには一線級のシェフが集結していました。
ロンドンには中国系、インド系の移民もたくさんいますので、アジアの味も楽しめます。
懇意にしていた日本人の寿司職人が英国の永住ビザを取得しましたが、英国政府は、ロンドンが外国人を引きつけるのは金融の中心シティだけではないという事を良くわかっていると思います。
ウィンブルドンやミュージカルなどエンターテインメントに加えてレストランも重要視されているのでしょう。
この観点から言えば、東京も国際都市として非常に魅力があります。
東京にはミシュランの星付きレストランがパリ以上にあると言われています。
最近落ち目と言われている東京も、カジノなど招致せずに、その食の魅力を国際的にアピールしては如何かと思います。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。