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カザフ騒乱が中央アジア諸国に与えた影響

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ロシアの介入が与えたインパクト

カザフスタンの騒乱は収束しましたが、その詳細は未だ明らかになっていません。

ロシア政府との連携により事態収拾を図ったトカエフ大統領ですが、この事件は中央アジアの他の国々にも強烈なインパクトを与えた様です。

この点について英誌Economistが「Kazakhstan’s bloody turbulence will affect all of Central Asia」(中央アジア全体に影響を及ぼすカザフスタンの騒乱)と題した記事を掲載しました。

かいつまんでご紹介したいと思います。

Economist記事要約

カザフスタンは長い間、中央アジアで最も安定し、最も成功した国と見なされていただけに、同国での騒乱は他の中央アジア政府を驚かせました。

この地域の5か国はすべて、深刻な経済問題に直面しており、政治的に脆弱な体制を共有しています。

これら共通の問題は、地域の共有された歴史の産物です。

19世紀後半のロシア帝国拡大時、中央アジアは汗国の集まりでした。

多くの人がチンギスカンとティムールの子孫である事を誇りに思っていました。

ソ連はこの地域を一応民族的に定義された共和国に分割しましたが、実際の境界はかなり恣意的でした。

日本への内通の疑いで1930年代に極東ロシアから強制移住させられた朝鮮人の子孫50万人を含む民族の寄せ集めのままです。

カザフスタンには、人口のほぼ20%を占めるロシア系住民に加えて、韓国人、ユダヤ人、ウズベク人、ドンガン人などが居住しています。

 

ソ連の崩壊から生じた内陸国は、ソ連の負の遺産を相続しました。

これには、独裁政権の伝統、環境破壊(綿花栽培のためアラル海が干上がったのはその一例)、そして国家が支配する経済が含まれます。

これらの慣習はなかなか改善されませんでした。

ウズベキスタンの綿花畑での強制労働はほんの数年前に終わりました。

 

中央アジアでは独裁者が一般的で、彼らは安定と成長のために、すべての反対派取り締まりを正当化しようとします。

経済は資源に依存しています。

アフガニスタンのケシ畑の隣にあるタジキスタンに至っては、麻薬国家の特徴を持っています。

中央アジア全体で、汚職はビジネスに付随するものではなく、ビジネスそのものです。

キルギスタンでは、元副税関長であるマトラリモフが密輸の王者です。

同国では、彼が金で政府を買うのではと囁かれています。

 

それでも、注目すべき変化があります。

カリモフ前大統領が2016年に亡くなり、彼の27年間の統治を終えたとき、後継者であるミルジヨエフは、ウズベキスタンが行き詰まっている事を認めました。

彼は、通貨の交換と通関手続きの制限を解除しました。

国内で最も悪名高い刑務所を閉鎖し、政府に対するある程度のチェックと批判を容認し、人々が住む場所や旅行できる場所を制限する規則を廃止しました。

政府は、欧米主導の企業や多国間機関からのアドバイスに耳を傾けるようになりました。

しかし、国営銀行やその他の事業の民営化や、土地の改革などはそう簡単ではありません。

カリモフ時代の考え方を持つ多くの官僚など根強い改革反対派が残っています。

 

ウズベキスタンの近代化改革は現在危機に瀕しています。

近代化推進派は、カザフスタンでの出来事が、ウズベキスタンを含む近隣の政権に影響を与え、国家がその支配を緩和するリスクが大きすぎると結論付けることを恐れています。

ここ数ヶ月、トカエフ氏は、変革とみなされるものを導入しました。

彼は地方選挙で一部対立候補を許容することを含めて、ある程度の地方分権化を奨励しました。

彼は数人の政治犯を釈放し、死刑を廃止しました。

その結果、今回の騒乱が発生したと見る人もいます。

 

ロシアがカザフスタンに戻ってきたことは、中央アジア諸国がカザフスタンでの出来事に注目しているもう一つの理由です。

実のところ、ロシアは決して中央アジアから離れていませんでした。

ロシアのKGB工作員は、カザフスタンにそのまま残っていました。

ロシアは、宇宙発射場であるバイコヌール宇宙基地を管理しています。

プーチン氏のユーラシア経済連合を通じて、ロシアは事実上カザフスタンの関税政策を管理しています。

そしてカザフスタンの北部にいる多くのロシア人は、プーチン氏に干渉する言い訳を提供しています。

国によって多少異なりますが、ロシアは中央アジア全体で同様の影響力を享受しています。  

 

軍隊を派遣したことはプーチン氏に有利に働くでしょう。

中央アジアの5人の指導者がカザフスタンの首都で会ったのはほんの数年前のことでした。

これはロシアの関与なしに彼らだけで集まった最初のサミットでした。

現在、ロシアはその会議を主催した政府(カザフスタン)を支えています。

タジキスタンとキルギスタンも、今回カザフスタンに軍隊を派遣しました。

それは、彼らの政権が内部の敵によって脅かされる場合、彼らもまたロシアに助けを求めることを示唆しています。

 

地域外の他国も今回の事件を注視しています。

中央アジアにおける中国の影響力は、一帯一路戦略によって著しく拡大しました。

ナザルバエフ時代の終焉を強調したカザフスタンへのロシアの展開の速さは、中国を驚かせたようです。

しかし、その後の声明を見ると、中国の利益はロシアの介入によって最もよく守られると結論付けた様です。

商売を進めたい中国にとっては、安定性が全てです。

 

トルコは不意打ちをくらった感があります。

この国は中央アジアを含むトルコ語系世界をリードしようという野心を抱いています。

トルコのソフトパワーの魅力は否定できません。

カザフ語、キルギス語、トルクメン語、ウズベク語はすべてトルコ語系言語です。

トルコはイスラム教徒が多い国ですが、近代的で比較的繁栄している国でもあります。

文化的には、多くの若い中央アジア人にとって、モスクワや北京よりもイスタンブールが明るく輝いています。

しかし今、トルコの夢はロシアの現実にぶつかります。

 

中央アジアにおける西側の影響力も危機に瀕しています。

ジュネーブで何年も過ごしたトカエフ氏は、1月11日にスピーチを行う前に西側の意見を求め、失業、生活水準の低さ、インフレ、汚職に対する懸念を示しました。

彼が指摘する様に、カザフスタンとその地域が直面している課題への答えは近代化です。

しかしそれは決して与えられるものではありません。

米露の対応の差

カザフスタンやウズベキスタンに朝鮮系の人々が多く住む事を多くの日本人はご存知ないと思います。

私も仕事で両国を訪れた際に、彼らが営む韓国料理の店にずいぶんお世話になりました。

カザフスタンはこの記事の記載通り、多民族国家です。

一部ドイツ系の人も居ました。

彼らもスターリンに強制移住させられた様です。

そんな多民族国家をまとめ上げてきたのが初代大統領ナザルバエフ氏でした。

それにしても、彼はどこに行ってしまったのでしょう。

一部には親族、取り巻きと共に国外に脱出したとの報道もあります。

もしそれが事実だとすれば、中央アジアで最も安定した国を作り上げた大統領の末路は哀れというしかありません

他の中央アジア諸国の大統領は皆、我が身の行く末について心胆を寒からしめたのではないでしょうか。

 

ロシアの対応の素早さは特筆ものでした。

要請を受けた翌日に空挺部隊を派遣したところを見ると、カザフスタン国内の権力闘争をつぶさに観察していたとしか考えられません。

2016年にトルコでクーデター未遂事件が生じた時も、プーチン大統領は即座に反応しましたが、KGBの諜報活動は改めて優秀である事を証明しました。

対照的に米国の反応は極めて弱々しいものでした。

今回の事件で、中央アジア諸国の大統領は困った時にに頼りになるのは欧米ではなく、ロシアだと結論づけたものと思います。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。