戦時の報道
戦争の真実を知る事はいつの時代も大変難しい事です。
それは各国とも自国や支援国の士気を高めるためにいわゆる戦時の報道をするからです。
この点では第二次世界大戦時に政府が発表する大本営発表をそのまま報道した日本の新聞各社が良い例ですが、今日においてもこの傾向に変わりはありません。
どの国もバイアスのかかった報道を行っていると認識してメディアに接した方が良いと思われます。
ウクライナ戦争においても、各国政府はそれぞれの思惑に基づいた発言を繰り返しており、各国メディアもこれに追従している様です。
この点について米誌Foreign Policyが「The Conversation About Ukraine Is Cracking Apart - What government officials are saying in public, and private, is fascinating—and full of contradictions.」(ウクライナに関する見方の乖離 - 政府関係者の公的発言と本音の間には矛盾が満ちている)
Foreign Policy記事要約
今年初めてミュンヘン安全保障会議に参加しましたが、世界の現状について気分が晴れた訳ではありません。
もちろんウクライナ戦争が主な議題となりましたが、その議論には2つの重要な乖離が見られました。
最初のギャップは、欧米と「グローバル サウス」の主要メンバーとの間で認識、見方が大きく異なることでした。
頑固な大西洋同盟主義者は、今日の世界で最も重要な地政学的問題として、ウクライナ戦争を見る傾向があります。
米国のハリス副大統領は、この戦争は「広範囲にわたる世界的な波及効果」をもたらすと述べ、米国に本拠を置くあるシンクタンクは戦争を「21世紀の転換点」と呼びました。
同様に、戦争がどのように終結するかを尋ねられたとき、ドイツのベアボック外相は、ロシアの完全な敗北と撤退以外のシナリオは、「国際秩序の終焉と国際法の終わり」を意味すると答えました。
彼らの言い分は要するに、ウクライナで危機に瀕しているのは、「ルールに基づく秩序」自体の未来であり、自由そのものの未来でさえあります。
一部の欧米の論者は、勝利に代わるものはないと主張し、エスカレーションのリスクを却下し、ウクライナの支持者に、ウクライナの決定的な勝利を約束します。
世界の他の国々の見方は異なります。
ミュンヘン会議でロシアやプーチン大統領を擁護する者はいませんでしたし、数日後、ロシアがウクライナから「即時、完全かつ無条件で」撤退することを求める国連総会の決議が140票以上で可決されました。
しかし、大西洋同盟以外の国々 (インド、ブラジル、サウジアラビアなどの重要な大国を含む) は、西側諸国が主導するロシア制裁に参加しておらず、西側諸国の当局者が見ている様な見方で紛争を見ていません。
実際、このギャップを理解するのはそれほど難しくありません。
まず第一に、西側以外の人々は、ルールに基づく秩序と、国家が国際法に違反しないという西側の主張を偽善と見なし、この問題で道徳的な優位性を主張しようとする西側の試みに憤慨しているからです。
彼らの見解では、西側諸国はほとんどのルールを作っているだけでなく、都合の良い時はいつでもこれらのルールに違反することをいとわないのです。
当然のことながら、グローバル サウスの代表者たちは、2003 年にアメリカがイラクに不法侵攻したことを直ちに取り上げました。
同様に、何人かは、ロシアが武力により領土を獲得しようとしている事を非難している西側政府が、イスラエルがゴラン高原と西岸を征服し、前者を併合し、後者には 入植した事を是認していると指摘しています。
ロシアは現在、当然のことながら、厳しい制裁を受けていますが、米国はイスラエルに寛大な経済的および軍事的援助を提供し、国連安全保障理事会での批判からイスラエルを守るために拒否権を行使しています。
このようなあからさまなダブルスタンダードは、西洋の道徳的主張を飲み込むのを難しくしています。
さらに、グローバル・サウスの主要国は、21 世紀の未来がウクライナ戦争の結果によって決まるという西洋の主張を共有していません。
彼らは経済発展、気候変動、移住、内戦、テロリズム、インドと中国の力の台頭、その他多くのものはすべて、ドンバスやクリミアの運命よりも人類の未来に大きな影響を与えると考えています。
彼らは、西側政府がウクライナの援助に数百億ドルをすぐに送ったのに、新型コロナの世界的な予防接種キャンペーンの為に十分な金額を支払わなかった事を疑問に思っています。
彼らは、ウクライナが現在 24 時間脚光を浴びている理由を疑問視していますが、西側諸国は、サハラ以南のアフリカ、中央アメリカ、またはその他の紛争地域で失われている命に殆ど注意を向けていません。
彼らは、シリアやアフガニスタンで同様に恐ろしい状況から逃れてきた難民に対する欧米諸国の冷たい仕打ちを考えると、欧州諸国が諸手をあげてウクライナ難民を歓迎するのを見て憤慨しています。
また、戦争が彼らの利益に悪影響を及ぼしているため (食料価格の上昇など)、彼らは、ウクライナが戦争の目的を完全に達成するのを助けるよりも、戦争を終わらせることに関心があります。
グローバル・サウスの慎重なスタンスは、それが「親ロシア」であることを意味するものではありません。
それは、これらの国が他の国と同じように国益に敏感であることを意味します。
それはまた、西側とそれ以外の国の間のギャップがなくなる可能性が低いことを意味します。
ミュンヘンで私が観察した 2 番目のギャップは、高官が公の場で表明した楽観主義と、個人的に聞いたより悲観的な評価との間の隔たりでした。
ハリス、ベアボック、米国国務長官ブリンケンなどが登場したメインイベントでは、西側の団結と長期的な勝利の見通しについて明るい話を聞きました。
バイデン大統領とゼレンスキー大統領は、先週のバイデン氏の突然のキエフ訪問で、このメッセージを繰り返しました。
しかし、オフレコでは、会話ははるかに厳しいものでした。
私の非公開会合には主要政府の最高幹部が含まれていませんでしたが、誰も戦争がすぐに終わるとは思っていませんでしたし、ウクライナが失われた領土(クリミアを含む)のすべてを取り戻すことができるとは誰も考えていませんでした。
実際、より攻撃的な軍事援助 (戦車、大砲、陸軍戦術ミサイル システム、戦闘機など) を求める声がますます高まっているのは、表向きの報告が示すよりもウクライナが悪い状態にあるという認識を反映している可能性があります。
私が話した人々のほとんどは、膠着状態が続くと予想しており、 西側のウクライナ支援は勝利を目指しているわけではなく、真の目標は、時が来れば有利な取引ができるようにウクライナの位置取りをする事です。
公の楽観主義と私的なリアリズムとの間のこのギャップも驚くべきことではありません。
戦争中の指導者は、大衆の士気 (および同盟の結束) を維持する必要があります。
成功への自信を表明し、必要な限り戦うことを約束することは、敵に戦争の目的を下方修正するよう説得するのに役立つ可能性があります。
和平交渉を行う時が来たと思っても、それを大声で言うと、自分の交渉上の立場が損なわれ、最終的にはより悪い結果が得られます。
しかし、ここで気になることがあります。
ウクライナに対するバイデン政権の支持的発言は増え続けており、ある種のハリウッド映画でのハッピーエンドを約束し続けています。
バイデンのキエフ訪問は、彼のウクライナ支援への個人的なコミットメントを強調する大胆な行動でしたが、同時に彼の政治的運命をより直接的に明白に戦争の結果に結びつけました。
バイデン氏が約束したことを実現できなければ、今日の米国のリーダーシップの権威は、1年後にはかなり毀損するでしょう。
2024 年 2 月に戦争がまだ継続し、ウクライナが破壊されつつある場合、バイデンは、より多くのことを行うか、プラン B を探すかのいずれかの圧力に直面することになります。
さらに、中国がロシアにより多くの支援を与えることを決定した場合、バイデンは世界第 2 位の経済大国に追加の制裁を課す必要があり、新たなサプライ チェーンの問題を引き起こし、現在危ういながらも進行中の経済回復を危険にさらす可能性があります。
もしそのようになれば喜ぶのは共和党の大統領候補(特にそのうちの一人)になるでしょう。
ウクライナ戦争に賭けたバイデン政権
筆者はロシアの侵攻を是認するものではありませんが、欧米のウクライナに対する無条件と言っても良い盲目的支持には危ういものを感じます。
上記の記事にも書かれている通り、ウクライナだけ何故えこ贔屓するのか、世界には同じ様な体験をしているのに殆ど支援を得られない人々がいます。
我が国もウクライナだけは特別扱いです。
アジアの同胞であるミャンマーの難民などは冷遇して、何故ウクライナだけ受け入れるのか理解できません。
金髪で青い目だからなのかと思ってしまいます。
バイデン政権の深入りも今後問題になる可能性があります。
バイデン政権はウクライナを勝利に導かなければ、同国が何よりも大事にしている世界覇権が揺らぎます。
しかし、ロシアは核を持っているので、核戦争にエスカレートしない様に手加減をしながら戦争を行う必要があり、しかもプーチン政権は不退転の覚悟でこの戦争に臨んでいます。
忘れてはいけないのは旧ソ連はナチスドイツとの戦いで2700万人もの犠牲を出しながら勝利しました。
ロシアの特徴はそう簡単には音を上げない耐久力です。
ウクライナ戦争の行方は次期米国大統領選も左右しかねません。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。