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ウクライナ戦争に関する危うい倫理観

全員が同じ方向を向く危険性

筆者はへそ曲がりです。

広島の高校にいた時もクラス全員がカープファンだったのに一人だけ阪神ファンを通しました。(東京に進学してからカープファンになりましたが)

全員が同じ主張をする時に、本当にそれが正しいのかと疑念が湧いてくる質です。

ウクライナ戦争に関しては、ウクライナが全面的に正しく、邪悪の根源ロシアに立ち向かっている彼らを救わなくては世界の民主主義が危機に瀕するという論調が西側のメディアを覆い尽くしており、これにちょっとでも批判的な事を言おうものなら、親露的だと十字砲火を浴びそうな雰囲気です。

こんな時、筆者の生来のへそ曲がり的気質にスイッチが入ります。

勿論ロシアが侵攻したのは事実ですので、ロシアは非難されるべきですが、100%ロシアだけが悪いというのはどうも腑に落ちません。

ウクライナ戦争が始まってからかなり長い期間、西側のメディアは完璧に戦時モードに入り、ウクライナ支援一辺倒でしたが、ここにきてその論調に変化の兆しが見えてきました。

米誌Foreign Policyが「The Morality of Ukraine’s War Is Very Murky」(非常に危ういウクライナ戦争の倫理観)と題した論文を掲載しました。論文の寄稿者はハーバード大学教授のStephen M. Walt氏です。

かいつまんでご紹介したいと思います。

Foreign Policy論文要約

ウクライナ戦争に関して道徳的に望ましい行動は何ですか?

一見それは明らかな様に見えます。

ウクライナは違法な戦争の犠牲者であり、その領土は占領され、国民は侵略者の手によってひどい苦しみを受けており、その敵は、邪悪な独裁政権である。 ウクライナのゼレンスキー大統領は、今月キエフで開催されたヤルタ欧州戦略会議の集まりでこう語りました。「この戦争について話すとき、私たちは常に道徳について話しているのです。」 

 

戦争が始まって以来、ウクライナに「必要なものは何でも」与えることを支持する人々は、戦争を通常の米国のやり方、つまり善と悪の争いとして描こうとしてきました。

彼らによれば、戦争の責任はもっぱらロシアにあり、西側の政策は今回の悲劇とは全く関係がなかったという事になります。

彼らは、ウクライナを、腐敗した帝国主義独裁政権によって残酷に攻撃された、勇敢な民主主義国家として描いています。

彼らは、道徳的にウクライナのために全てを与える必要があると考えています。

なぜなら、戦争の結果が、民主主義の将来、台湾の運命、ルールに基づく秩序の維持などに広範囲に影響を与えると考えているからです。

当然のことながら、彼らはこの見解に異議を唱える者を、親露派、あるいは道徳的判断力の欠如した者として即座に非難します。

 

これらの主張はいずれも無条件に受け入れられるべきではありません。

ロシアが戦争を始めたことには疑いの余地がなく、そのことで非難されるのは当然ですが、NATO事務総長のストルテンベルグが最近認めたように、西側の政策は戦争とは何の関係もなかったという主張は馬鹿げています。

確かに、ウクライナは民主主義国家ですが、プーチン大統領がウクライナを「ナチ政権」と表現したのはひどく誇張されているとしても、問題含みの国でもあります。

この紛争の結果が世界中に重大な影響を与えるという示唆は、さらに説得力に欠けます。

朝鮮戦争は膠着状態に終わり、休戦交渉が行われ、ベトナム、イラク、アフガニスタンでの戦争は明らかな米国の敗北でしたが、地政学的な影響は局所的なものでした。

最終的な結果が何であれ、これはウクライナでも当てはまるでしょう。

ちなみに、同じことは逆のケースにも当てはまります。

第一次湾岸戦争での西側の圧倒的な勝利やコソボ戦争でのセルビアの敗北は、永続的な民主主義ルネッサンスを引き起こしませんでした。

米国を含む多くの国で民主主義は困難に陥っていますが、国外での軍事的挫折が主な理由ではありません。

ウクライナが完璧な勝利を収めたとしても、米国共和党が正気を取り戻すことも、フランスのマリーヌ・ルペン氏やハンガリーのオルバン氏が非自由主義的な政策を放棄することはないでしょう。

 

それでも、私を含む西側諸国のほぼ全員が、道徳的にはウクライナに有利だと考える理由は理解できます。

戦前のロシアの恐怖や不満がどのようなものであったにせよ、ロシアは違法な予防戦争を始めたのです。

この事実はロシアを特別に悪にするわけではありませんが、(イラクの自由解放作戦は誰が始めたのでしょう?)ウクライナは依然として犠牲者です。

ロシアは民間目標を意図的に攻撃し、ウクライナ自身の戦争法違反をはるかに上回る規模で他の戦争犯罪を犯してきました。

亡命者を毒殺し、反政府勢力が統計的にあり得ない頻度で致命的な「事故」に見舞われたりするロシア政権に多くの道徳的美徳があるとは考えにくいのです。

これらの特徴は私たちがウクライナに同情を感じるのを説明するのに大いに役立ちます。

しかし、この見解に欠けているのは、政策の道徳性は、その政策の潜在的なコストとその成功の可能性にも依存するという点です。

人間の命について語る場合、抽象的な原則を超えて、さまざまな選択が現実にもたらす結果を考慮する必要があります。

善良な者が勝たなければならないと宣言するだけでは十分ではありません。 その結果を生み出すためにどれくらいのコストがかかるのか、そしてそれが実際に達成可能なのかについても真剣に考えなければなりません。

予想されるコストや成功の確率について 100% 確信を持つ方法はありませんが、これらを考慮することを拒否することは、道徳的責任を放棄することになります。

 

アフガニスタンでの長期にわたる戦争は、この問題を如実に示しています。

タリバンの勝利が大部分のアフガニスタン人、特にアフガニスタン女性にとって道徳的な災難となることをほぼ全員が理解していました。

米国の撤退を支持した私たちは、アフガニスタンの苦しみに無関心だったからではなく、より長く残留しても最終的な結果は大きく変わらないと信じていたからです。

政策を維持したい人々は、あと2、3年もすれば最終的には勝利をもたらすだろうと主張し続けましたが、彼らはその目的を達成するための確実性の高い戦略を提示しませんでした。

 

同様のことが今ウクライナでも起きているのではないかと心配しています。

平和を追求するための道徳的根拠は、たとえ結果が私たちが望むものでなかったとしても、戦争が国を破壊しており、戦争が長引けば長引くほど、その被害はより広範囲で永続的なものになることを認識することにあります。

ウクライナにとって残念な事は、これを指摘し、真剣な代替案を提案する者は、大声で厳しく非難される可能性が高い点です。

 

ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、トーマス・フリードマン氏が先週末意見したように、長期的な解決策はウクライナにより先進的な兵器を送り、ウクライナをできるだけ早くNATOとEUに加盟させることだと信じている人々がいます。

プーチン大統領は主にウクライナがNATOに加盟する可能性を排除するために戦争を行いましたが、この目的達成のため、戦争を続けるでしょう。

ロシアが和平を強制できないほど、ウクライナに十分な支援を与えるのは理にかなっていますが、その支援は戦争を終わらせる可能性がなければ意味がありません。

 

もちろん、強硬派はこれらの議論に対して明確な答えを持っています。

「ウクライナは戦い続けたいと思っている」「だから我々は彼らが必要とするものは何でも与えるべきだ」と彼らは主張します。

ウクライナの決意は並外れており、その願望を軽々しく無視すべきではありませんが、この主張は必ずしも的を得ていません。

友人が、賢明でないまたは危険だと思うことをしようとしている場合、たとえ彼らがどれほど熱心に取り組んでいたとしても、あなたには彼らの努力を助ける道徳的義務はありません。

逆に、彼らが行動するのを手助けし、その結果が悲惨なものになった場合、あなたは道徳的に有罪となります。

 

もちろん、ウクライナが許容できる対価で勝利することができ、その結果が世界中に大きなプラスの影響を与えるとなれば話は別です。

しかし、ウクライナの夏の反撃の(悲惨ではないにしても)残念な結果を考えると、その可能性は益々小さくなっています。

強硬派は現在、F16戦闘機などより高度な兵器が戦場のバランスをウクライナに有利に傾けることを期待しています。

私は彼らが正しいことを願っていますが、これらのタカ派がウクライナ自身の損失の問題についてはほとんど沈黙していることは何を物語っているのでしょう。

具体的に言うと、何人のウクライナ人が死傷したのでしょうか

この問題はウクライナの将来性を評価する上で極めて重要ですが、信頼できる情報を入手することはほとんど不可能です。

 

今日でも、今後戦争がどのように展開するのかを正確に知る人は誰もいません。

私たちの集団的な無知は、これらの議論に参加するすべての参加者がもう少し謙虚であるべきことを示唆しています。

私はウクライナの勝利の可能性を過小評価している可能性があります。

もし私が間違っていたと判明した場合、私は喜んでそれを認めるつもりです。

しかし、私は強硬派の戦争に対する妥協のないアプローチが長期的にはウクライナにより多くの損害を与える可能性があることを認識してほしいと思います。

 

最後に留意頂きたい点が 1 つあります。

もしあなたがまだ戦争に対する道義的責任を負わせたいと思っているなら、それは無制限のNATO拡大の危険性を警告し、ウクライナの内政に過度に干渉することの危険性を警告した私たちには当てはまりません。

ウクライナに武器を提供する無謀な努力は裏目に出る可能性があるということです。

プーチン大統領には戦争の開始とロシアの戦争遂行に責任がありますが、この悲劇の責任の一端は、これらの警告をすべて無視した西側諸国にもあります。

警告を無視した人々の多くが、戦争の継続、更なるリスクテイク、西側の支援の増加を最も声高に求めていることを考えると、彼らのアドバイスが今日のウクライナに過去と同じくらいの害を及ぼすのではと心配になるのは当然です。

リアリズムの重要性

1960年代にキューバ危機という第三次世界大戦に発展してもおかしくなかった事件が起こりました。

冷戦の最中に、ソ連の友好国であったキューバに核ミサイルが持ち込まれ、近距離のキューバから核攻撃されれば大惨事となる米国はキューバを海上封鎖し、一触即発の危機が生じたのですが、最終的にはソ連が核ミサイルを撤去した事で危機は去りました。

今回のウクライナ戦争も隣接するウクライナがNATOに加盟し、核ミサイルが配備される事を恐れたロシアが反発した点でキューバ危機と良く似ています。

ロシアにしても米国にしても大国というのは自分勝手な存在です。

しかし、キューバもウクライナも隣国は変えられません。

隣国の大国と上手に付き合っていく上では、上記論文が唱える通り理想論ではなく、目的を達成するためのコストとその実現可能性を冷徹に計算するリアリズムが重要なのではないでしょうか。

今も戦場では多くの若者が死傷しています。

これを一刻も早く止めなければ、戦争前から少子化が進んでいたウクライナは若者が極端に減少し、再起が不可能な国になってしまいかねません。

政治家の英断が求められます。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。