インドも加わった上海協力機構
「上海協力機構」という中国、旧ソ連諸国を中心とした多国間組織があります。
先日中央アジアのウズベキスタンで総会が開かれ、2年ぶりの外遊を行った習近平主席が参加しました。
習主席とプーチン大統領が個別会談を行った事でも話題になりましたが、この上海協力機構の次の総会はインドで行われると聞いて驚きました。
インドは米国主導のクワッドの一角を占めているのではないでしょうか。
この上海協力機構の成り立ち、その発展について米誌Foreign Policyが「Why Xi Jinping Chose Central Asia for His First Post-COVID-19 Trip」(習近平が中央アジアをコロナ後の最初の外遊先に選んだ理由)と題した論文を掲載しました。
著者のRaffaello Pantucci氏は英国王立防衛安全保障研究所の上級研究員です。
Foreign Policy論文要旨
中国の習近平国家主席が、コロナウイルスのパンデミックが始まって以来、初めての外国訪問先を中央アジアとした事は驚くべきことではありません。
この地域は、中国が外交政策で多くの成功を収めていると主張できる地域であり、中国を公に批判しない国がたくさん含まれています。
現代の中国と中央アジアとの関係は、ソビエト連邦の終焉までさかのぼります。
中国は、ソ連の崩壊から多くのものを受け継ぎました。
1つは、共産主義の統治構造を解体してはいけないとの教訓でした。
もう 1 つは、中国に隣接する複雑な国境でした。
中国にとって、ソ連の終焉は、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンの 4 つの新しい国と突然国境を接することを意味しました。 (トルクメニスタンとウズベキスタンも誕生しましたが、中国との国境を共有していませんでした。)
ソビエトと中国の国境は常に定義が曖昧でしたので、これらの新しい国家の出現に伴い、関係を構築し、国境を定義する必要がありました。
その為、関係国の指導者が集まり、「上海ファイブ」と呼ばれるグループが結成されました。
しかし、組織は当初の目的をはるかに超えて成長し、(少なくとも中国の観点からは)非常に成功したため、ウズベキスタンが参加するよう奨励されました。
ウズベキスタンの参加と共に、2001 年には上海協力機構 (SCO) と改名しました。
各国の参加目的は異なります。
中国は、経済的側面に注力していましたが、他の国々は懐疑的でした。
最終的に、彼らは、テロに焦点を当てた安全保障グループとして発展させることに同意し、中国が結成した最初の国際的で安全保障に焦点を当てた多国間組織になりました.
これは、中国がまだ世界の舞台で比較的臆病だった時代の大きな前進でした。
ソ連の崩壊以来、中国は中央アジアを通じてシルクロードの考えを再興させようとしてきました。
当時の焦点は、中央アジアのエネルギー資源獲得に熱心な日本市場にエネルギー資源を輸送するために、中国を横断する東海岸までのパイプラインと鉄道のリンクを構築することでした。
しかし、中国経済が軌道に乗り、これらのリソース自体を中国自身が必要とした為、パイプラインは中国東海岸止まりとなりました。
中国は 1997 年にカザフスタンの石油を中国に輸出するためのパイプラインを建設しました。
これは中国のエネルギー企業にとって初めてのことでした。
中央アジアは、中国が新しいことに積極的に挑戦する地域でした。
この地域の豊富な資源へのアクセスを得るだけでなく、中央アジアにおける中国の最終的な目標は、新疆ウイグル自治区を安定化させることでした。
1990 年代後半を通じて、中央アジアと中国で大規模な暴力が発生しました。
中国はこれに対処するため、中央アジア諸国政府の協力と支援を望んでいました。
その結果、強力な治安情報網が確立されました。
しかし、中国政府の見方によれば、これらの問題に対する長期的な解決策は常に経済的なものでした。
特に新疆に対するソ連崩壊の恩恵は、封印された国境に直面していた中央アジアの国々が突然開放された事でした。
当時の中国の指導者たちは、この機会を利用するよう働きかけました。
1993年当時の中国外相,銭岐陳は新疆 に、輸送、エネルギー、電気通信などのインフラを整備し、国境貿易を活発化する様に命じました。
その後数年間、新疆は中央アジア各国との取引を徐々に増やしていきました。
中国全土からの製品がますます新疆を経由して中央アジアに移動し、逆に原材料と一部の農産物が中国に輸出されました。
この中央アジアとの経済的関係は習近平主席の時代にも引き継がれ、2013 年 9 月、カザフスタンを彼の大きな外交政策コンセプトである一帯一路構想 (BRI) を発表する最初の演説の場所にする事を決定しました。
中国がこの地域からロシアを追放しようとしているという暗い噂が常にありますが、真実は、両国にとって、この地域をめぐる対立は、米国との集団的対立において互いに提供する重要な地政学的支援よりもはるかに重要ではありません。
ロシアは、地位を失いつつあり、中国の利益に反する様な行為を行う可能性は低いと思われます。
中央アジアは、習主席が 2 年ぶりに外遊するのに適した地域です。
中国国内の観点から言えば、習近平主席は世界の大国(ロシアやインドなど)と交際し、自身の外交政策ビジョン(一帯一路構想)を披露し、多国間組織(上海協力機構)の世界への貢献を謳う事ができるという意味で好都合です。
上海協力機構は西側では広く嘲笑されていますが、21 年間の存続期間中、その規模は拡大を続け、今や加盟国の人国は世界のほぼ 40% を占めています。
それは、西側の重要な同盟国(インドなど)をメンバーとして持つ組織であり、時々説明される反西側の権威主義者に対するクラブを超えた魅力を反映しています。
多くの加盟国にとって、上海協力機構は、「より公正な」国際秩序の表現です。
第二次世界大戦後に作られた西側諸国が支配する秩序以外の選択肢があることを世界に示しています。
中央アジアは、中国の戦略的思考において常に重要な位置を占めてきました。
それは、中国が一貫して新しいアイデアを試してきた空間であり、これはまた、第 20 回全国党大会で3期目を迎える習主席にとって最後の勝利のステップでもあります。
インドとトルコの重要性
上海協力機構の構成国の総人口が世界の人口の4割に達していたとは気がつきませんでした。
その昔上海ファイブと言われた頃は、単に中国と国境を接した旧ソ連の構成国が国境を確定するために集まったものと認識されていました。
その後、構成国は増え続け、中国がその国際的な存在感を示す上で、重要なプラットフォームになっています。
特にインドの参加と今回「対話パートナー国」として参加したトルコの存在は注目すべきです。
インドは米国が推進するクワッドの要であり、トルコはNATOで米国に次ぐ兵員数を誇るメンバーです。
この2カ国が参加する事で、上海協力機構は単に中露とその衛星国の集まりという括り方が出来なくなりました。
インドもトルコも軸足を中国側に置くことには未だに慎重ですが、米国一強の世界体制に不満を抱えており、今後も二股をかけていいとこ取りをしていく事になるでしょう。
この上海協力機構の次回総会開催地はインドだそうですが、インドの仇敵パキスタンも既に正式メンバーだそうです。
今回トルコは「対話パートナー国」としてウズベキスタンでの会議に参加しましたが、エジプト、UAE、サウジアラビア、クウェート、カタールなど中東諸国も「対話パートナー国」として登録を表明しています。
これらの国々が正式加盟に踏み切れば、西側に対抗する一大勢力になる事は間違いありません。
西側はこの様な動きに対して有効な対抗手段があるのでしょうか。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。