米軍アフガニスタン撤退の余波
今年、米軍はアフガニスタンから完全撤退します。
20年にも及ぶ駐留は、200兆円を超える戦費をかけたにもかかわらず、失敗に終わったと分析されています。
以前旧ソ連もアフガニスタンに軍事介入し、燦々たる結果に終わりました。
そのダメージは旧ソ連を崩壊に導いたと言われています。
アフガニスタンにはこれといった資源もないのに、ソ連は何の目的で軍事介入したのでしょうか。
軍事介入が行われたの1979年12月ですが、その直前にイラン革命が起こり、アフガニスタンにイスラム系政権が樹立されると、旧ソ連内のイスラム系諸民族が旧ソ連からの分離独立を図る可能性が生じたからだと言われています。
旧ソ連には多くのイスラム系民族が住んでいました。
中央アジアのウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、キルギスタンなどは全てイスラム系民族が多数を占めています。
旧ソ連が崩壊した後、これらの民族は独立を果たしましたが、そこに誕生した政権はイスラム教を支援する事なく、むしろイスラム教過激派を押さえつける政策をとってきました。
今回、米国がアフガニスタンから撤退した後、隣接する中央アジア諸国にはどの様な変化が訪れるのでしょうか。
米誌Foreign PolicyがCentral Asia Braces for Fallout of U.S. Pullout From Afghanistan (米軍撤退の後遺症に身構える中央アジア諸国)と題した記事を掲載しました。
かいつまんでご紹介したいと思います。
Foreign Policy記事要約
1991年、ソビエト連邦が崩壊した時、中央アジアに新しい国家群が生まれました。
1990年代それらの国々は、米国の外交政策の関心リストの上位に上がることはありませんでした。
2001年に米国がアフガニスタンで戦争を始めたとき、それは大きく変わりました。
中央アジアは、国境を越えたテロリストの活動を絶滅させようとする米国の取り組みの重要な柱になりました。
「1990年代は対ロシアの観点で中央アジアを見てましたが、2000年代には対アフガニスタンの観点で見る様になりました。」と国防大学の助教授であるブリアン・トッドは述べています。
米国はほぼ20年かけたアフガニスタンでの作戦を打ち切ろうとしていますが、タリバーンがアフガニスタン北部をあっという間に占拠した為、中央アジア諸国はバイデン政権にとって重要な役割を果たす事になりそうです。
バイデン政権は、タジキスタン、ウズベキスタン、カザフスタンと、米国政府と協力してきたアフガニスタン人を一時的に受け入れることについて話し合っていると伝えられています。
政権はまた、過激派グループを寄せ付けないためのアフガニスタン政府の努力を支援するために、この地域に軍事的拠点を再確立しようとしています。
ウズベキスタンとタジキスタンの外相は今月、ブリンケン国務長官との会談のためにワシントンを訪れました。
米国政府は代表団をウズベキスタンに派遣すると発表しました。
代表団は、「アフガニスタンの平和、安全保障、開発を促進し、テロ対策協力を含む地域の安全保障上の共通の利益を促進する方法について話し合う」と、国家安全保障会議のスポークスマンは述べました。
国務省は、平和への取り組みと地域のつながりを支援するために、ウズベキスタン、パキスタン、アフガニスタン、および米国を含む新しい外交フォーラムの創設を発表しました。
中央アジア諸国は警戒しています。
何故ならタリバーンが変化しつつあるからです。
タリバーンは歴史的に、アフガニスタンの民族パシュトゥーン人から新兵を集めてきました。
しかし、近年、過激派グループは、タジク人、トルクメン人、ウズベク人を含む他の民族グループのメンバーを引き込む取り組みを強化しており、この動きは過激なイスラム主義が広がるのではとの恐れを中央アジア諸国でかき立てています。
国家安全保障問題の専門家であるスザンヌ・レヴィ・サンチェスは「中央アジア諸国は、タリバーンが浸透してくる事を懸念している一方、自国民がアフガニスタンのタリバーンに加わることも恐れており、これは双方向です。」
2001年に米国の介入によって倒される前に、タリバーンはイスラム法の厳格な解釈の下でアフガニスタンを支配した事から、過激派イスラムに長い間敵対してきた中央アジア政府から警戒されています。
一方で、中央アジア諸国もタリバーンと協力する必要性を認識しており、タリバーンが国境を超えて目標を設定しないという保証を求めています。
タリバーンの代表団は今年すでにトルクメニスタンを2回訪問しており、2月の訪問で、トルクメニスタン政府は、アフガニスタンでの同国のインフラプロジェクトを標的にしないという過激派グループからの保証を確保したと伝えられています。
安全保障協力は、この地域において長い間米国の主要な焦点であり、今後も主要な目的であり続けるでしょう
2001年後半、米国はアフガニスタンでの戦争を支援するためにウズベキスタンとキルギスタンに空軍基地を設立しましたが、当時、米国とロシア、中国との関係は現在と根本的に異なっていました。
同時多発テロの余波で、プーチン大統領は、テロ対策の取り組みで米国との提携に熱心であり、米国が自分たちの裏庭である中央アジアに基地を設立しようとしたときに邪魔をしませんでした。
米国政府は現在、全く異なる地政学的状況に直面しており、専門家は、米国がこの地域に基地を設立できるかどうかについて懐疑的です。
この地域での米国の役割は、継続的な安全保障協力、武器の販売、人道支援に限定される可能性が高そうです。
ロシアは、アフガニスタンとの国境に近いタジキスタン領内に最大の外国軍事基地を持っており、近年、この地域での軍事力を強化しています。
ロシアは、タリバーンや他の過激派グループがこの地域に波及しないようにすることに強い関心を持っています。
状況をさらに複雑にしているのは、100万人以上のウイグル人イスラム教徒が拘束されている新疆ウイグル自治区に不安定さが浸透するのを防ぐために、中国がアフガニスタンと中国の国境の合流点に近いタジキスタン東部に静かに軍事基地を設立した事です。
地理的に見て、中央アジアは何世紀にもわたって大国間の競争の場でした。
「ロシアと中国のバランスを慎重に取ろうとする国々にとって、米国によるこの地域への関与は歓迎されるだろう。」とカーネギー国際平和基金の上級研究員であるストロンスキー氏は、述べました。
アンディジャン暴動事件
皆さんは中央アジアの国々に馴染みがないと思いますが、私はこの地域をビジネスマンとして頻繁に訪問しました。
なかでも最大の人口を誇るウズベキスタンは最も思い出深い国ですが、この国はシルクロードの中心地として栄えたサマルカンドやタシケントを有し、豊かな文化と伝統を有した国です。
この国は近代に入ってロシア帝国に併合され、その後旧ソ連の一部として70年間を過ごしました。
ご存知の通り、共産主義は宗教を否定していますので、元々イスラム教徒が多かった国民は無宗教の70年を過ごす事を余儀なくされました。
ウズベキスタンは1991年に独立した後、イスラム原理主義の高まりに苦労します。
その象徴ともいえるのが、2005年に起きたアンディジャン市の武力蜂起です。
イスラム過激派が大規模な反政府蜂起を起こしましたが、これを当時のカリモフ政権が武力で鎮圧し、市民にも多くの死傷者が出た為、ウズベキスタン政府は国際世論の批判に晒されました。
ウズベキスタンはアフガニスタンと国境を接している為、多くのイスラム過激派が国境を超えて流入した事が、大きな暴動に発展しました。
現在、ウズベキスタン政府は米軍撤退後のタリバーンに対して同じ懸念を感じていると思います。
「ロシア帝国の柔らかな下腹」と形容される中央アジアは、古くからイスラム原理主義の脅威にさらされてきました。
米軍撤退後の中央アジアは、タリバーンに対して如何に向かい合うか微妙なさじ加減を求められることになるでしょう。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。