MIYOSHIN海外ニュース

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トルコを襲った大地震

100年に一度の大地震

暫くブログをお休みしました。

理由は筆者が滞在するトルコを襲った大地震です。

既に日本でも詳しく報道されていると思いますが、この地震は地震国として知られるトルコの歴史でも100年に一度の大地震でした。

マグニチュード7.8と7.5と一見大した地震ではないと思われるかも知れませんが、震源が浅いことと数時間の間に大地震が2回起きた事から壊滅的な被害をもたらしました。

被災地の範囲は450km(日本で言えば東京から京都に至る距離)に及び、大きな被害をもたらしました。

そのエネルギーは原爆500発分と言われています。

既に犠牲者は4万人を超えており、これから瓦礫の撤去が進むにつれて更にその数は増えていく事が予想されます。

筆者が滞在しているイスタンブールは被災地から遠く離れており、揺れを感じませんでしたが、イスタンブールに住むトルコ人の多くは被災地に親族を抱えており、その心理的ショックは東日本大震災に日本人が受けたトラウマを上回るものがあります。

今回被害がこれほど大きくなった理由については、現在さまざまな理由が取り沙汰されています。

不法建築を特赦した事が多くの建物が倒壊した原因だといわれていますし、震災直後に軍隊等が現場に駆けつけなかった初動ミスも批判されています。

今回はトルコのHalk TVの論説委員​​İsmail Küçükkaya氏の記事を取り上げたいと思います。

Halk TV記事要約

社会生活において、「星が輝く瞬間」には、輝きがいたるところにあります。

光はみなを照らします。 逆もまた然り。 崩壊はすべての人に影響を与えます。

社会が盛り上がっているとすれば、それは経済から社会生活、文化からスポーツ、政治からメディアまで、生活のすべての層で感じられます。

没落の時もそうです。

 

私の質問は次のとおりです。

トルコはここ数年で上昇していますか?

輝いていますか? 私たちは没落していますか?

私たちは世界の人々にどのように見えていますか? 

トルコがこのような状況に陥ったのはなぜでしょうか。

国際社会で有効とされる重要な基準(民主主義、法律、人間の生活、報道の自由、国民所得など)で、なぜ私たちはこれほど落ち込んだのでしょうか。

 

これらすべての質問に対する答えは、今回の地震で浮かび上がった問題に関連しています。

それはシステムです。

ワンマンによる体制。 制御・監視システムがなくなったからです。

その時点で、全体的な品質が低下し始めました。

恣意的な管理が始まりました。

サッカーでさえ、我が国は過去に光り輝いていた時代がありました。

何故何年も国際大会に出れないのでしょう?

 

私たちはがれきの下にいます。

何トンもの重荷が私たちにのしかかっています。

しかし、私たちはこの残骸から抜け出さなければなりません。

新しい一歩を踏み出しましょう。

私たちの希望と慰めは、人々の団結力です。

人々の心を痛みの中で一つにしましょう。

この連帯の精神が、私たちをがれきの中から引きずり出します。

私たちはこのシステムを変えなければなりません。

私たちは常識に戻らなければなりません。

さもなければ、より大きな地震とより大きな難破船が私たちを待っています。

次回は残骸を処理できない可能性があります。

たぶんこれがラストチャンスです。

トルコの将来

多くの人が未だに瓦礫の下に残されていると思うと心が痛みます。

謹んで犠牲者のご冥福をお祈りしたいと思います。

日本から多くの方に暖かいメッセージを頂きました。

この場を借りて御礼申し上げます。

日本も地震国としてトルコに協力できる分野は多くあると思います。

今後の復興において我が国が多くの貢献を行える事を祈っています。

今回の震災では興味深い発見が幾つかありました。

トルコ友人の話では倒壊した建物から発見された人の中にエレベーターの中から救出された人がかなり見られたとの事です。

地震が起きた時には、エレベーターを使うなと教えられていますが、今回の様な建物の崩壊の際には、鉄の箱であるエレベーターの中の方が安全なのかも知れません。

もう一つの発見は、本日(地震後12日後)発見された被災者が携帯電話からSNSで外部と連絡を取った事です。

もちろん12日間携帯のバッテリーは持ちませんが、彼は震災直後携帯電話が通じなくなった事から一旦電源を切り、電波が復活した震災3日後に携帯でメッセージを発信しました。

この冷静な判断が最終的に彼の命を救いました。

トルコでは現在バッテリーの持ちの良いスマホが人気になっている様です。

 

最後まで読んで頂き、有難うございました。