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インドの感染症と戦ったユダヤ系ロシア人科学者の一生

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知られざる科学者の一生

現在、世界各地でワクチンが開発されていますが、病原菌を体内に接種することによって抗体を生じさせるという、リスクを伴う治療法を最初に開発した人たちの苦労は並大抵のものでははなかったと思います。

ワクチン黎明期の科学者としては、種痘を発明した英国ジェンナーやフランスのパスツールが有名ですが、今のウクライナ(当時ロシア帝国)で生まれたWaldemar Haffkineもその一人です。彼の一生について、英BBCが「Waldemar Haffkine: The vaccine pioneer the world forgot」(ウラジミール ハフキン - 忘れ去られたワクチンのパイオニア)と題して記事を掲載しました。

かいつまんでご紹介したいと思います。

BBC記事要旨

1884年にハフキンがオデッサ大学を動物学の学位で卒業したとき、彼はユダヤ人だったので、教授職に就くことを禁じられました。

1888年、ハフキンは母国を離れ、パリに行き、パスツール研究所(世界有数の細菌学研究センター)で働き始めました。

パスツールとジェンナーの研究に基づいて、ハフキンは、コレラ菌をモルモットの体内で培養する事に成功しました。

1892年7月18日、ハフキンは弱毒化したコレラ菌を自らに注射し、命を危険にさらしました。

彼は数日間熱を出しましたが、完全に回復し、3人のロシア人の友人と他の数人のボランティアに接種しました。

この成功の後、33歳になったハフキンはインドのカルカッタに赴きました。

そこで彼が直面したのは、当時インドを統治していた英国の保守的な医療機関とインド民衆のワクチンに対する抵抗、偏見に直面しました。

当時、ワクチン接種を受けるよう人々を説得することは、口で言うほど簡単ではありませんでした。

ハフキンは、ワクチンを接種する人を増やすために新しい取り組みを行いました。

彼は安全であることを示すために、民衆の目前で自身に注射したのです。

「最初抵抗していた人々がハフキンのコレラワクチンのためにカルカッタのスラムに列を作り始め、一日中列に並んだということです」とマンチェスター大学のチャクラバルティ教授は語ります。

 

コレラワクチンの接種が軌道に乗り掛かっていた頃、インドでは更に重大な感染症が広がり始めていました。

世界で3番目のペストの大流行は、1894年に中国の雲南省で始まり、香港から英国支配下のインドに広がりました。

当初、英国政府は問題の深刻さを軽視し、ボンベイを開放し続けました。

しかし、死者の数は急増し、知事はハフキンに助けを求めました

彼はそこでたった4人の助手とともに、世界初のペストワクチンをゼロから開発する任務を負いました。

1897年1月10日、ハフキンは10ccの製剤を自らに注射しました。

彼はひどい熱を経験しましたが、数日後に回復しました。

その後、1年以内に、何十万人もの人々がハフキンのワクチンを接種され、莫大な数の命が救われました。

彼はビクトリア女王に騎士として任じられ、大きな施設の所長に任命されました。

 

しかし、その後、大きな問題が発生しました。

1902年3月、パンジャブ州マルコワル村で、ハフキンのワクチンを接種された後、19人が破傷風で亡くなりました。

インド政府委員会が調査を行い、ハフキンがペストワクチンの殺菌手順を変更し、生産を速めたため、カルボリック酸の代わりに熱を使用したことを発見しました。

1903年に委員会は、ボトル53Nがハフキンの研究室で汚染されたに違いないと結論付け、ハフキンを解雇しました。

ハフキンが解雇されてから2年後の1904年、ペストはインドでピークに達し、その年に1,143,993人が死亡しました。

マルコワル事件から4年後の1906年、インド政府はハフキンを有罪と認定する調査結果を発表しました。

キングスカレッジの教授であるWJシンプソンは、このインド政府の判断に疑義を呈しました。

シンプソンはボトル53Nを開いた助手が鉗子を地面に落とし、ボトルのコルクストッパーを取り外す前に鉗子を適切に滅菌できなかったことを明らかにしました。

シンプソンらの運動がイギリス議会で問題を提起した後、ハフキンはついに1907年11月に免罪されました。

ハフキンは喜んでカルカッタ生物学研究所の所長として戻りましたが、彼の名誉回復は不完全でした。

彼は実験を行うことを禁じられ、理論的研究に限定されました。

彼は失意の内に、インドを去る事になりました。

1897年から1925年の間に、2600万回分のハフキンの抗ペストワクチンがボンベイからインド各地に送られました。

彼が救った命の数は膨大だと言われています。

得られる教訓

ユダヤ系のロシア人がパリで細菌学を極め、インドでワクチンによって多くの人を救ったこの話、私も寡聞にして知りませんでした。

この実話から幾つか教訓が得られると思います。

ハフキン氏はインド政府から大至急製造して欲しいとの要請を受けて、製造過程のスピードアップのためプロセスを変更している。

今回の新型コロナも例外的なスピードでワクチン開発が進んでいますので、スピードアップの為の製造プロセスの変更が重篤な副作用をもたらす事が懸念されます。

副作用が出た場合に、ワクチン接種を中止するのか継続するのか判断が難しい。

インドの場合、破傷風による死亡事故の後、ペストワクチンの接種を中止した訳ですが、そのため2年後にペストの犠牲者はピークを迎え、100万人以上の人が亡くなっています。

副作用のマイナスとワクチン接種を中止した場合のマイナスを天秤にかけて判断する必要があります。

ハフキン氏はワクチンに対する大衆の不安を払拭するため、自ら接種している。

集団免疫を実現するには大多数の国民が接種する必要があります。

国民に接種しろと勧めておいて、自分は打たないという選択肢はありえません。国のリーダーが率先して接種を受ける必要があるでしょう。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。