社会風刺であったアネクドート
久しぶりにアネクドート特集をお送りします。
アネクドートは小話と訳されていますが、公には体制批判が許されない旧共産圏諸国の市民が鬱憤を晴らす目的があったと思います。
ロシアのアネクドートが有名ですが、今日は東欧共産圏の優等生と言われた東独のアネクドートも合わせご紹介したいと思います。
旧ソ連のアネクドート
二人の酔客が爆弾について話していた。
「原爆ってどんな爆弾だろう?」「俺もお前もウォッカもなくなる代物さ。」
「じゃあ中性子爆弾は?」「俺とお前だけいなくなってウォッカだけが残るんだ。」
そこで最初の酔いどれが首を傾げて言った。
「俺がいてお前がいてウォッカだけないってこの状況、俺たちゃ一体どんな爆弾を落とされたんだろうか?」
Q.「ラーダの取扱説明書の、最後の6ページには何が書いてあるか?」
A.「それは電車とバスの時刻表だ。」
(注:ラーダはソ連の国民車で、良く故障するのと長い納期で有名だった)
Q.「ニワトリと卵、どちらが先にあったか?」
A.「共産化の前には、両方ともあった。」
政治犯刑務所で、三人の受刑者がなぜここに来たのかを話し合っていた。
一人目「俺はいつも定刻の5分前に仕事へ行くので、スパイ容疑さ」
二人目「俺はいつも5分遅刻するので、サボタージュ容疑さ」
三人目「俺はいつも時間通りなので、西側製の時計を持っていると疑われたのさ」
Q.「ソ連にもアメリカのような言論の自由があるって本当ですか?」
A.「ええ、原則としてその通りです。ワシントン.のホワイトハウスの前で『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられないのと全く同じように、モスクワの赤の広場の前で『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられません」
東ドイツ関連アネクドート
Q.「アメリカ合衆国が社会主義化することは可能ですか?」
A.「原則として可能です。しかし、東ドイツが養える超大国はひとつまでです。」
(注:東独は当時共産圏の優等生で、ソ連を経済的に支えていた)
東ドイツの七不思議。
- 東ドイツには失業者がいない
- 失業が無いのに労働者の半分しか働いていない。
- 半分しか働いていないのにいつもノルマが達成される。
- いつもノルマが達成されるのに店にはものが無い。
- 店にはものが無いのに誰もが幸せで満足している。
- 誰もが幸せで満足しているのにいつもデモがある。
- いつもデモがあるのに国民の99.9パーセントが政府を再選する。
Q.「カルテットとは何か?」
A.「ヨーロッパコンサートツアーから帰国した、東ドイツの交響楽団」
(注:当時共産圏の楽団やバレエ団は外貨稼ぎのために海外公演を行なっていたが、頻繁に団員が西側に亡命した。ここでは、団員の多くが亡命してしまい、四人くらいしか残らないというのを皮肉っている。)
1987年、ホーネッカーが西ドイツ訪問から帰国した。早速感想を聞かれた彼はこう答えた。「我が国と何も変わる所がなかった。なにしろ、西ドイツマルクさえあれば何でも手に入るのだから」
Q.「世界で一番長い川は何か?」
A.「それはエルベ川である。ハンブルグに着くまでに65年間かかるから。」
(注:東ドイツ市民が西ドイツへの移住を希望した場合、無条件に認められるのは満65歳以上であった。この措置には、年金支払い額を減らしたいという、東ドイツ政府の意図が反映されていた)
ついこの間まで存在した東欧共産圏
共産主義革命を経て誕生したソビエト連邦は約70年の寿命でしたが、その理想とは裏腹な社会を実現しました。
その頃モスクワを訪れた私は当時最大級の百貨店グムにほとんど商品がなく、レストランに行ってもメニューに記載されている料理がほとんど出てこない事に驚きました。
その頃モスクワ市民は行列があればそれが何のための行列かわからなくとも並ぶと言われており、バッグには常に商品を入れるための空袋を忍ばせていました。
外貨が不足していたので、ロシアが誇るボリショイ劇場のバレエなどの切符はダフ屋が五ドルや十ドルの安値で外人に売っていました。(当時はソ連国民はルーブルを外貨に変える事が許されず、外貨は闇で高値で取引されていました。)
レストランもドルで払う客には専用の入り口があり、ルーブルで払うロシア国民たちは、寒風吹き荒む戸外で長い列を作っていました。
壮大な社会実験であったヨーロッパの共産主義革命は結果的に失敗に終わりました。
それは国民に平等を約束しながら、一部支配者だけが利益を貪り、体制に反対する人は抑圧し、言論の自由を奪った当然の結末でした。
このロシアを含めた東欧の共産圏の失敗はついこの間である事を忘れてはならないと思います。
世界に強権主義の国家が増えている今、アネクドートから抑圧された社会で暮らした人々の辛苦を理解する事も必要かと思います。
最後まで読んで頂き、有り難うございました。