開会式最大のサプライズ
皆さんも既にご存知と思いますが、セリーヌ ディオンがパリオリンピックの開会式に登場し、エッフェルタワーから「愛の讃歌」を歌い上げました。
彼女が進行性の難病にかかり、歌うどころか椅子から立ち上がることさえできないほどの状態であった事を知っていただけに、彼女の突然の登場に驚き言葉を失いました。
そしてその素晴らしい歌声に年甲斐もなくボロボロ泣いてしまいました。
エッフェル塔からエディット ピアフの最高傑作「愛の讃歌」を歌い上げる様は、正に歌の女神降臨という印象でした。
雨に濡れたピアノは情感を更に高めました。
それにしてもディオンを開会式のトリに持ってくるというのは最高の判断でした。
フランス系カナダ人であり、長らく世界中のファンから復活を待望された大スターをこのステージに立たせた事は、それまで4時間近くも続いた若干凝りすぎの開会式を救ったといっても良いでしょう。
未だご覧になっていない方は下記リンクをご参照ください。
2番目のリンクはスペイン人の女性音楽評論家のリアクションですが、この手の評論家のリアクションもネット上で沢山見られ、如何に今回のパフォーマンスが衝撃的だったかを物語っています。
https://www.youtube.com/watch?v=D7FMMjqKvaM
https://www.youtube.com/watch?v=-OV5EjSM23Q
フランスにはいつも厳しい英国のメディアもディオンのステージに関しては手放しで褒めちぎっています。
その中から一つ英紙ガーディアンの記事をご紹介したいと思います。
ガーディアン記事要約
世界中のスポーツファンが、金曜日の夕方、セーヌ川沿いで雨中、4時間にわたる、無秩序で大騒ぎの舞台を耐え抜いたのは、セリーヌ・ディオンが再びステージに戻ってくるのを見るためだった。
56歳のフランス系カナダ人歌手は、スティフ・パーソン症候群と呼ばれる稀で治癒不可能な神経疾患のため、4年以上もパフォーマンスを行っていなかった。
肋骨を折るほどの制御不能な筋肉のけいれんに苦しんでいるにもかかわらず、生まれながらの真のパフォーマーであるディオンは、いつか復帰することを約束していた。
「走れなければ、歩く。歩けなければ、這う」と、彼女は最近のドキュメンタリー『I Am: Céline Dion』で語っている。
「そして、私は止まらない。止まらない」
オリンピック開会式の最後に、ディオンはただ復帰しただけでなく、勝利を収めた。
銀色の輝きに身を包み、エッフェル塔で雨に濡れたピアノの伴奏でエディット・ピアフの『愛の讃歌』を歌っただけでなく(実際、それだけでも十分だった)、ファン以上にツアー再開を切望していると自ら認める人物らしい情熱で歌った。
ドキュメンタリーを見たことがある人なら、ディオンが再びステージに立つために、そしてオリンピックに相応しいパフォーマンスをするために、底なしの勇気と決意に加えて、どれほどの薬と治療が必要だったか、想像もつかないほどだということをご存知だろう。
ポップシンガーのケリー・クラークソンがアメリカのNBC放送で言ったように、「彼女はボーカルアスリートの金メダリスト」だ。
ディオンは、おそらく90年代の歌姫たちの中で誰よりも感情の波に敏感で、ピアフが初演後に飛行機事故で亡くなった恋人に書いた歌詞から、憧れ、喪失、復活のあらゆる糸を自然に引き出した。
彼女はエッフェル塔のステージから、あらゆる防御をも溶かす魔法の様な歌声を発した。
最後まで読んで頂き、有難うございました。