MIYOSHIN海外ニュース

世界の役立つ情報をわかりやすくお伝えします。

東日本大震災後、生まれ変われなかった日本

f:id:MIYOSHIN:20210307213112j:plain

大震災は日本を変えたか

丁度10年前の3月11日に超大型地震が東北地方を襲いました。

この地震は津波と共に多くの犠牲者を出しましたが、10年後に日本をどう変えたのでしょうか。

この点に関して英誌Economistが「The Fukushima disaster was not the turning point many had hoped - Instead of spurring reform, the nuclear accident bred disillusionment」(福島の災害は多くの人が望んでいたターニングポイントにはなりませんでした - 改革に拍車をかける代わりに、原発事故は幻滅をもたらしました)と題する記事を掲載しました。

かいつまんでご紹介したいと思います。

Economist記事抜粋

福島県飯舘村はかつて上質な牛肉と大根で知られた農村でした。

しかし、最近の飯館村は牧歌的とはほど遠いものがあります。

その南東約35kmのところに、福島第一原子力発電所があります。

政府は、原発を作るために自治体に寛大な助成金を提供し、原発が事故を起こさない事を約束しました。

2011年までに、日本には54基の原子炉が稼働し、国の電力の3分の1を供給しました。

その年の3月11日、大地震が日本の北東海岸を襲いました。

地震は津波を引き起こし、家や道路を全滅させました。

原発は波に耐えましたが、バックアップ発電機が浸水し、6基の原子炉周辺の冷却水の本質的な流れが停止しました。

数日のうちに、そのうちの3つが溶けて、地域全体に放射線が広がり、世界中がパニックに陥りました。



地震は文字通り国を再形成しました:

本州は東に2.4メートル移動しました。

当時、日本社会にも大きな変化が期待されていました。

政治家たちは、景気低迷と人口減少の時期を経て、福島をより広範な復興の象徴としてリハビリしようと考えました。

災害を調査した議会委員会の黒川清委員長は、1868年の幕府の廃止と第二次世界大戦での日本の敗北に似た「第三の改革」の可能性として3/11について語りました。

 

しかし、3/11から10年経った今でも、第三の改革は実現していません。

「日本がようやく変化し始めることを期待し、その見通しに希望を抱きましたが、私は間違っていたことが証明されたのではないかと思います」と、事故の独立調査委員会の船橋洋一会長は言います。 

地震によるダメージを日本は受けましたが、第二次世界大戦のように完全な敗北には至りませんでした。

偶然にも、自民党が政権を握っていなかった時期に災害は発生しました。

2009年から2012年にかけて政権を握った民主党の災害に対する対応は、改革と政治的交代に対する信用を傷つけました。

「原子力政策は長年自民党によって実施されましたが、民主党は原子力災害に対して責任を負わなければなりませんでした」と民主党の元国会議員である中林美恵子は言います。

「その後、民主主義は重要であるが、安定を優先すべきだと人々は考える様になりました。」

 

一方で、原発のメルトダウンは専門家への信頼を破壊しました。

災害後の最初の数週間と数ヶ月の当局者からの率直さの欠如は、当局への信頼を失わせました

 

過去10年間、政府の復興への取り組みは、インフラと土地の除染に重点を置いてきました。

公式のプレゼンテーションは、再建された道路や鉄道を示すグラフィックで溢れています。

しかし、物理的な再構築に重点を置くことは、要点を見逃しています。 福島の住民のうつ病と不安の割合は全国平均の2倍以上です。家族は別居し、生計は失われました。 

 

避難が命じられた地域では、人口の4分の1程度しか戻っておらず、ほとんどが高齢者です。3/11は人口減少を加速させ、年間平均18万人減少しました。

政府は、研究開発施設の集まりである福島の「イノベーションコースト」に沿ってハイテクの未来を売り込んでいます。

しかし、ほとんどの地元民は災害救援や原子力発電所の廃炉に関連するプロジェクトに従事しています。

 

3/11以前は、日本人の3分の2以上が、原子力発電を維持または拡張したいと考えていました。

政府は、世紀の半ばまでに原子力発電所が日本の電力の半分を発電することを望んでいました。しかし今は、国民の過半数が反対しています。 

現在の管政権は2050年にカーボンニュートラルを標榜していますが、3/11以降に政府は国民の信頼を失いました

広報会社のエーデルマンによる年次調査によると、政府への信頼を表明する日本人の割合は、震災前の51%から震災後の25%に急落しました。

現在は37%です。

「災害後の放射線を監視するための独立した取り組みを主導した東京のNGOであるSafecastのAzbyBrownは述べています。

信頼は再生可能な資源ではありません。一旦失くしたら、おしまいです。」

第三の大改革は望み薄

東日本大震災は多くの被害者を出した悲惨な天災でしたが、日本が生まれ変わるる大きなチャンスだったかも知れません。

しかし、当時野党だった自民党が「民主党なんかに任せていてはだめだ。我々の手で日本の安定を取り戻そう。」と巧みなキャンペーンを張り、政権を取り戻した後は、旧態依然とした自民党一強の体制に戻ってしまいました。

原発事故の際の菅政権の対応は非常にお粗末だったので、致し方ありませんが、日本再生のグランドデザインを書き直す良い機会を逸したと思います。

政権交代の可能性が無い状況下、政権は緩み、改革意欲は薄れます。

政権交代が可能な信頼できる野党が存在し、与党と切磋琢磨する状況が生まれなければ、明るい日本の将来は開けないと思います。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。