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ドイツの経済発展を支えたトルコ系移民が抱える問題

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ドイツに住む3百万人ものトルコ系移民

トルコ系移民がドイツに多い事はご存知の通りですが、これは第二次世界大戦直後、高度経済成長期にあった西ドイツが大量の未熟練労働者をトルコから呼び寄せた事に起因しています。

その多くはドイツに定着し、三世代目、四世代目を迎えています。

トルコから出稼ぎ労働者が西独に渡ってから60年、この間にどの様な問題が生じたのでしょうか。

英誌Economistが​​「Sixty years of Turkish “guest workers” in Germany - More are integrated, but two-thirds of adults are not German citizens」(​​トルコからの「ゲストワーカー」の60年 - 未だに成人の3分の2はドイツ国民ではない)と題した記事を掲載しました。

かいつまんでご紹介したいと思います。

Economist記事要約

1968年にデミルビレク氏をトルコからドイツに引き寄せたのは貧困や野心ではなく、ドイツの車の魅力でした。

自分の車を持つことを長い間夢見ていた電気技師のデミルビレク氏は、西ドイツでの仕事に応募することにしました。

数ヶ月後、デミルビレク氏はケルンへの3日間の電車に乗りました。

 

非常に多くのトルコ人「ゲストワーカー」と同様に、短期間で終わるはずの彼のドイツ滞在は一生続くことになりました。

現在84歳の彼は、デュッセルドルフで行われたゲストワーカー条約の60周年記念式典に参加しました。

この式典は、ドイツに、現在275万人のトルコ人コミュニティ(民族別で圧倒的に最大)が存在し、その複雑な歴史を振り返る機会を提供しました。

 

協定が発効した12年間に、75万人の貧しい未熟練トルコ人が西ドイツにやって来ました。 (家族の再統合とその後の政治亡命の波により、その数はさらに増加しました。)

ゲストワーカーとその子孫に話しかけると、複雑な家族の歴史が聞こえてきます。

女性たちは経済的または文化的なつながりがない場所を理解するのに苦労し 、「スーツケースの子供たち」は両国の間を行ったり来たりしました。

ドイツも、短期滞在のゲストワーカーが恒久的な住民となったため、苦悩を経験しました。

統合政策は遅れました。

第一世代のトルコ人は、ドイツ人との出会いがめったにない飛び地の寮に住むケースが多く、ほとんどが力仕事でドイツ語を学ぶ必要はありませんでした。

子供たちは、いつか「母国に帰る」ことを前提として、移民のみのクラスに入れられました。

才能のある子供たちは、しばしば最高の学校から入学を拒否されました。

 

国民の移民に対する不信感は政府の政策に表れています。

1983年、ドイツのトルコの人口を半減させたいと考えていたコール首相は、ゲストワーカーに帰国を促すため、帰国費用の支払いを申し出ました。

トルコで生まれたトルコ系ドイツ人が成人期まで二重国籍を保持できるようになったのは2014年のことでした。

今日、成人の3分の2近くを含む約150万人のトルコ系居住者は、ドイツのパスポートを持っていません。

1990年代に生じたヘイトクライムは依然として脅威です。

昨年のハーナウでの銃乱射事件の犠牲者10人のうち、トルコ系とクルド系のドイツ人4人がいました。

 

ドイツ在住のトルコ人は約90,000の企業を所有し、50万人を雇用しています。

トルコ系ドイツ人はサッカーから映画までおなじみの顔です。

9月の選挙で、18人が連邦議会の議席を獲得しました。

しかし、困難は続きます。

トルコ系の子供は、他のドイツ人よりも学校を中退し、仕事に就くことが少ない傾向があります。

トルコ語風の名前を持つドイツ人は、依然として住宅と雇用において差別に直面しています。



移民の功績に対するドイツの遅れた認識でさえ、しばしば善意の背後に軽蔑が含まれています。

BioNTech 社のトップとしてワクチンを開発したトルコ系ドイツ人の科学者であるUgurSahinとÖzlemTüreciは、移民の模範的モデルとして政治家に取り上げられる事に違和感を感じています。

 

一方、ドイツはその過ちのいくつかから学びました。

2015-16年に押し寄せたシリアや他の移民を言語と統合のコースに素早く導きました。

ドイツには「移民の背景」を持つ人々は人口の4分の1以上であるため、国民を統合する必要性が高まっています。

 

ゲストワーカーを称える最近の式典で、ドイツのシュタインマイヤー大統領は、同胞であるドイツ人とトルコ人に、すべてのドイツ人居住者の貢献を認め、「歴史を共に発展させる」よう促しました。

急速に高齢化が進んでいるドイツは、再び外国人労働者を求めています。

海外からの移民の次の波が起こるとき、過去の経験は貴重な教訓を提供します。

猫の目の様に変わるドイツの移民政策

これを読むと、如何にドイツの移民政策がご都合主義で変化していったかがわかります。

第二次世界大戦直後の西ドイツは労働力が不足し、トルコから大量の移民を受け入れましたが、その後東西ドイツ再統合で失業率が高まるやトルコ人をトルコに追い返そうとしました。

そして最近は少子高齢化の影響で労働力が不足し、再び移民を受け入れようとしています。

トルコ人は勤勉な国民ですので、ある意味トルコ人が戦後のドイツの復興を底辺で支えたと言っても良いと思います。

しかし移民に対するドイツ人の目は厳しい様です。

サッカーワールドカップ ロシア大会でナショナルチームが惨敗した時、チームの司令塔であるトルコ系メスト エジル選手はマスコミから袋叩きにあいました。

彼の父親は「勝てばチームで団結して勝ったと言い、負ければメストのせいか」と嘆きました。

移民問題は本当に難しいです。

洋の東西を問わず、多様性を受け入れ、出自を問わず実力主義を貫いた国が過去に発展している事は史実ですが、島国で移民に慣れていない日本人にとって相当難易度が高い課題と思います。

 

最後まで読んで頂き、有り難うございました。