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東京の魅力を英国特派員が語る

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世界で最も住みやすい都市

英誌Economistが日本特集号を発行しました。

その中から東京の魅力と将来に関した記事「The big city that is also pleasant to live in - Surprisingly, the world’s biggest city is also one of its most liveable」(住みやすい大都会 - 驚くべきことに、世界最大の都市は、最も住みやすい都市の1つでもある)を今日はご紹介したいと思います。

私が住んでいる東京という都市は、英国人特派員からどの様に評価されているのでしょうか。

Economist記事要約

「平地に公衆浴場の煙突がポツンと立っていた。」と第二次世界大戦後に東京に入った最初の外国人ジャーナリスト、ラッセル・ブラインズは書きました。

戦前の700万人の人口のうち、残ったのはわずか350万人でした。

再建され始めた、東京は暴力とスラム街に満ちていました。

1964年のオリンピックに先立ち、当局は急いでインフラを整え、通りをきれいにし、屋外での排尿など当時広く行われていた慣行を取り締まりました。

 

現在、東京は世界最大の都市であり、首都圏に3,700万人、都市部に1,400万人の居住者がいます。

また、時間厳守の公共交通機関、安全な環境、清潔な通り、他のどの国よりもも多くミシュラン星付きレストランがあり、世界で最も住みやすい場所の1つです。

住みやすさ指数では、東京は世界第4位になりましたが、その人口は上位4都市(アデレード、オークランド、大阪、ウェリントン)の合計人口よりも多くなっています。

それは他の国で発展している都市へのレッスンを提供します。

1950年には、世界の人口の30%が都市部でした。

2050年までに、68%がそうなる予定です。

その多くは、アジアとアフリカの1,000万人を超えるメガシティで発生します。

現在そのような都市は33ありますが、 2030年までに43に増えるでしょう。

東京は都市が高齢化し、今後人口縮小したときに何をすべきかを検討しているので、他の大都市にも参考になります

 

東京の住みやすさは計画の成功の産物であると同時に失敗の産物でもある、とジョージタウン大学のジョーダンサンドは主張します。

1つの成功は公共交通機関でした。

明治維新後、政府は道路よりも鉄道を優先し、市内を経由して地下にネットワークを拡大しました。

東京大学の岡田淳一郎氏は、アメリカの大企業が郊外に本社を建てる一方で、日本では電車や地下鉄の利用を奨励したと述べています。

これにより、東京は1つではなく、多くのハブを備えた多極都市になりました。

 

それらのハブの周りには、密集した多目的地区がありました。

それが計画の「失敗」でした。戦後、都市計画担当者は、1923年の関東大震災後と同様に、西側と同様に土地の使用用途を課そうとしました。

しかし、政府の資源は限られており、東京の成長は速すぎてプロセスを制御できませんでした。

日本は代わりに、許可されるものを規定するのではなく、ほとんどすべてのものが構築できるようにする緩い土地使用制限を課しました。

それらのハブの周りには、密集した多目的地区が出来ました。

専門家は、東京が多くの先進国が経験した住宅危機を回避したと述べています。

結果的に、緩い土地使用制限は他国との大きな違いをもたらしました。



東京はまだ成長していますが、高齢化も進んでおり、人口は2025年以降減少すると予測されています。

「都市化の発展は有限です」とトロント大学のアンドレソレンセンは主張します。

「日本はそれを経験する最初の国です。」縮小はすでに東京の郊外で始まっており、かつて団塊の世代の大群は新しく建てられた集合住宅に引き付けられましたが、現在、団塊の世代は年を取り、子供たちは去っています。

空き家は急増し、高齢者にとって、公共交通機関へのアクセスはますます困難になっています。

 

テクノロジーが役立ちます。

東京が公共サービスの「ダウンサイジング」を考えるとき、ビッグデータが重要になると、小池知事は言います。

市にはすでにスマート水道メーターからの詳細な測定値があります。

小池氏によると、このようなデータは、水の供給をより効率的にするのに役立つ可能性があり、一人暮らしの高齢者の潜在的な問題を解決するために使用することができます。

 

一部の郊外のコミュニティは、安価な不動産と十分なスペースを約束して、若い住民を引き付けようとしています。

しかし、悲しい現実は、いくつかの郊外が生き残り、他の郊外が衰退するということです。

そのプロセスは、遠隔地ではさらに明白です。

後藤新平の再来を

東京を語る上で、欠かしてならないのは台湾のインフラ構築に大きな貢献をし、関東大震災後の東京復興を指揮した後藤新平の存在です。

彼は当時国家予算ほぼ一年分の予算を要求し、最終的には半額に減額されましたが、パリの都市計画を手本に都心から放射状に伸びる道路や環状道路の建設を実現させました。

これが現在の東京のインフラの素地を作ったのは間違いありません。

自動車が走っていない時代にこれだけの道路網を整備したその先見の明には驚きを隠せません。

東京には外国人を驚かせる長所が数多くあります。

安全で活気に満ちて、円安で欧米に比べ物価も下がった東京は、今世界一住みやすい大都市と言えるのではないでしょうか。

東京を更に発展させるためには、後藤新平の様な先見性のあるリーダーが現れ、東京を思い切って再構築する必要があると思います。

後藤新平がモデルとしたパリも今の美しい街並みができたのは、オスマン市長の放射線状道路建設と建物の高さ制限ではないでしょうか。

新しいリーダーの誕生に期待します。

 

最後まで読んで頂き、有難うございました。